たいせつだから
誰に止められても会いたい人
そんな人はいるのだろうか
恋い焦がれて
とか
そういうんじゃなくって
じゃあ
なんだ?
そんな感情に出会ったとき
混乱した
自分が発した言葉じゃなくって
でも確実に聞こえた。
目の前にそれが存在してたから。
想像もつかない感情
自分の辞書の中には見つからなくって
受け取ることも
すくい上げ方もわからなかった
だからその場に、ポンと、置いてけぼりにしてしまった
でも後になって、何度も、その言葉が自分の中で反芻(はんすう)する
そうやって勝手に、自分の中で大きくなっていく
知りたいと思った
だけどその言葉を発した相手からしたら
その言葉は置いてけぼりにされたんだと
もう、こちらは、すくわないんだと思っているのかもしれない
距離が、できてしまった。
だから、もう一度、掬い上げ、救い上げる方法も見つからなくって
空中に浮かんでしまった。
名前もなくって
約束もなくって
それでも確かに存在してる
「たいせつ」という感情。
誰かをたいせつにするって、難しい。
気づけば自分のことばかり。
相手のためを思って遠慮して自分を押し殺しても、何にもならない。
伝わらなくって、誰のためにもならない。
だったら、本気で相手のことを考えて行動したならば、後悔はないはずだ。
いま、自分は、それが出来ていなかったことに気づいてしまった。
足りないところばかり見えていたけれど、
振り返れば、相手からはとってもたいせつにしてくれていた。
過ぎ去ってから、感謝するには、どうしたらいいんだろう。
「人は、失ってからこそ、そのたいせつさに気づく」とは
よく言ったものだ。
だからと言って、一方的なエゴの塊を押し付けたならば、ありがた迷惑極まりない。
たいせつにするって、本当に難しい。
やっぱり、相手をよく見て、ケアして、応えていく。
そういった、落ち着きや冷静さ、包み込むような明るさも必要なんだなぁ。。。
今から想像する。
もしもまた、チャンスが訪れるならば。
本気で「たいせつ」にできるように。
*****
人は・・・なんて一般論で片付けられるならば
わかってしまうならば
傍観者になって
飽きてしまうのかもしれない
分からないからこそ
そう、ままならないからこそ
未来を見てみたくて
想像をふくらませていくのかもしれない。
もっともっと、大人になりたい。
誰かを心底おもいやって、幸せだと思ってもらえて、それが自分の幸せにもつながるように。
いつか描いたこの記事から2年と少し、少しは大人になれただろうか。
このころの反省もあって、過剰にやりすぎない自分にはなった。
一方で、相手のサインに気づいても、出来ていない自分も居たかもしれない。
何事も、加減が難しい。
やっぱり、2年経ってもここに辿り着く。一進一退、自分はまだまだ。
そうやって、誰かを思ってやったことに対して見返りを求めるんじゃなくって、
思い遣ることができる人に出逢えたことに、感謝して生きたい。
お互いにこんがらがってうまく成長できなくなっている植物のつるならば
自分が真っ直ぐに、共に巻きつけて太陽に向かっていけるように。
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