やっと更新した。

住人

専攻を言語学にすればよかったって後悔するくらいには言語学が楽しい毎日です。

言葉の勉強は本当に面白いです。日本語の中身を覗いたり、言葉を使った情報のやり取りを隅々まで解明していく言語学は人類が絶滅しない限り終わりが来ないでしょうね。日本語学を教えている教授が、日本語学を学んで何になるのかっていう質問に対して、多くの学生は日本語学をこれから先も研究するわけではないだろうけど、せめて大学の講義中に話題に出てくる問題や課題に対してうんうん考えるプロセスを大事にしてほしい。考えて自分なりに理解する行動がこれから先役立つだろうからっておっしゃっていて、いい話だなあと思いました。

韓国語も勉強しているから、授業で聞いた日本語の特徴と韓国語を比較する時間が最近知的にワクワクできる時間です。

ところで。言語学を学ぶ人は全員聞いたことがあるだろう、”ラボフの研究”というのがあります。社会階層と発音の研究ですね。身分によって発音に特徴が見られる、という。現代ではこの研究について、プライバシーの問題や社会階層が失われているのがデフォルトだからもうしっかりした研究結果は得られないだろうというのが実情です。

なぜこの話を持ってきたかというと、このエピソードは私が取っている言語に関する授業の全てに出てきた重要な事例だからです。でもきっとこの話、いつか忘れてしまうんじゃないかと思うこの頃です。こんなに沼っている言語学も、将来研究者にならない限り日々生きていくための労働に追われて忘れてしまうのではないかと少々怯えています。

そういえば、高校生の時は古典の先生が大好きで、それで自然と古文と漢文の成績がよかったけど。なんだかもう色々忘れてしまった気がする。いや忘れるなよってことなんだけど。言語学の内容もいつか消え去ってしまう気がする。なんだかよくわからないけどおもしろかったなあって感想だけ残して。

私にとって大学生の4年間は短すぎます。大学入ってやりたかったことは何もしてないし、新しくやりたくなったことも中途半端で私の4年間終わりそう。だけどそんな私を受け入れてくれる人がたくさんるから、せめてその人たちの人生に一瞬でも役に立てたらなあって烏滸がましいにも程があるね。

manako

進学で長野県外にいます。ときどき思い出す言葉は「理解するのではなく認めよう」

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