やわらかい光になりたい
こんばんは。お久しぶりです。気づけば半年の年月があっという間に過ぎていました。
こうして言葉に向き合うにはあまりにも平然と日々を生きていました。
とてもとても平和ボケなくらい、それはそれは有難いことに。
そんな中で、久しぶりに、とてもとても「ままならない」自分を感じて、
この「おどりば」に立ち止まって、次の階段を眺めるためにここに来ました。
今これを書いているのは2023年の5月15日。5月の記事を書くには遅かった。
自分の部屋の11日にはまだ、階段上がってる途中で、ここに踊り場が待ってることも知らなかった。
というより、かけ上がってきた途中で、後ろ歩きで踊り場に戻っていることに気づけなかった。
これが公開されるころには、もう少し、後ろ歩きを真似するのはやめていたいなぁ。
この場があってくれて良かったな。
一足飛びにかけ上がってたつもりの階段は、そっちじゃなかったらしくって。
その先には、次の階段も、屋上に上がって空を見上げることもできなかったらしい。
ただ単に、違うかっただけ。上り続けても、空が見えないくらい部屋の中で息切れしていたかもしれない。
そういえば昔、窓すら開けられない高層階ビルで働いていたなぁと。
自分の息が浅くなっていることにすら気づけなくて。PCの前から動くことすら許されなかった箱の中で。
でもその箱に居るから護れるものがあるんだと、自分を奮え立たせていた。
10年以上前、まだマスクが当たり前じゃなかった時代に、マスクが自分との間で世界から護ってくれてるようで、安心した。マスクがないと、箱の中に居られなかった。すでに呼吸は浅いのに。さらに息はできていない事にも気づけずに。そんなんじゃ、うまく上る事さえ出来ないのに。
それでも息を切らしながら上ってたな。エレベーターでみんなが下に下がっていくのを横目に、降りちゃダメだっっって。しがみつきながら。
その時に比べたら、今は、全然、難くない。
まだ踊り場にも窓はあって、太陽の陽が当たってて、暖かい。
ただちょっと、休んでいきな、ちゃんとどこ上るか見渡しな、そう、言われてるみたい。
息を整えて、きちんと上っていきたいな。
今はまだ、次の階段がどこにあるのかも、どんな形なのかも、ラセンなのかジグザグなのかさえ分からないで立っています。いや、立ててすらないかもしれない。しゃがんでしまいそうだけど、それでもなんとか手すりを掴んでいる。
そんな、本当にままならない自分。
でもちゃんと立ち止まりたくて。今まではとにかく、おどりばはスキップしてしまうくらいに、ひたすらかけ上がってきた気がしてるから。こっちだよ〜こっちだよ〜って声に合わせて、一段飛ばしてスキップして上がってた。
上ってみたら、案外いいカモって、手すりの周りには緑がいっぱいあって🤭
虹がかかっているようにも見えたりして🌈あぁ、上るの躊躇(ちゅうちょ)してたけど、案外こっちであっていたのかも、簡単にスイスイ登れちゃうなぁ、身体が軽いのは、ここ一年くらいでこの階段専用の筋トレ始めたからかなぁ、、、トレーニングは大変だけど、間違ってはなかったのかもって、そう、思っていた。
でも今年は本当は厳しい年になる気だしてたのに、あまりに平和ボケなお天気マークが飛んでたから、「肩透かしを食う(?)」いや、何も闘うつもりではなったけど、あまりにもスムーズ過ぎて怖くなるくらいだった。
いつでもそんな違和感に気づく覚悟はしていたけれど、それは突然にやってきた。
上ってた階段にはメッキが塗ってあったらしい。
メッキだから鏡みたいに、自分が描いた虹🌈が、映って見えてただけかもしれない。
緑をいっぱい抱えているのも、自分の方で。
自分自身がどんどん豊かに蓄えてたものが、映し鏡になって、ただただ、自分と重ねてた。
でもさ、太陽が強く、窓が開いてたもんだから、メッキが剥がれ始めたんだ。
窓をたくさん増設して、大きくして降り注いでいたから。
メッキを剥いだら、そこには虹なんてかかってなかったんだ。
ハリボテの突貫工事で作った階段で、とても短くて。もしたどり着いて上階の扉を開けてしまったら・・・
もう、空の景色も見えなくなっていたかもしれない。恐ろしいね。
その箱の中に居た人たちも一緒に後ろ歩きで下ろしてこようと伴奏してみたんだけど、まだ箱の中に居たいらしい。また上ってしまった。。。元の箱の空気に馴染んでしまったら、息切れするのが普通になってしまうんだって。
大きく息を吸い込める踊り場に連れていきたくても、太陽が眩し過ぎて、目を閉じてしまった。
ふかふかの緑と雨上がりに虹がかかった空を、一緒に観られないのは残念だな。来世で会おう。
あぁ、踊り場に立たせてもらえて気づいた。
自分が上れなかったのが悲しいんじゃなくて、一緒に踊り場に立ってもらえなかったのが悲しかったのか。
寂しかったのかと。
一緒に旅に出る計画を立てた時、晴れたらいいなって思うのが普通だと思ってた。
だけど時に、曇り空を見て、「自分はこの天気が好き」という人が居て驚いたことがある。
太陽が強すぎると身体が追いつかないらしい。またはミステリアスな雰囲気が好きという人もいた。
太陽はみんなに降り注いでいるけれど、直に当たると辛い人も居るらしい。
やっぱり、木漏れ日のように優しく降り注げる人になりたいな。
まだまだ自分は、ままならないから。
人の手を取って、窓から落ちる太陽の下に駆け足で連れてっちゃうみたい。
ゆっくりと寄り添って、相手の眼と身体が馴染むまで待てる人になりたい。
薄暗い箱に、戻っていかないように。
やわらかい光を届けられたなら。
やっぱり目指す日差しは、こもれび。
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