あなたという役柄、なかがわよしのという役割。

住人

『誰よりも一生懸命生きているのに、なぜ報われないんだろう?』

精神病のわたし、貧乏なわたし、小説が誰にも認められないわたし。だからイチイチ文句を付けたくなる過去だよね。でも、ようやく、ど~んと構えられるようになってきた未来カモ。これはわたしの今の《役柄》なんだって思える、最近。遡れば、これでも小学校の時は人気者で、ファンクラブもあったんだよね、笑。それが《役柄》。高校の時は野球部で1番ライトが《役柄》。25歳で自分でも電撃的に入籍した、あのときはそれが《役柄》。30歳を過ぎた頃、ブラック企業で精神をカモられて失踪したのも《役柄》だったな。娘が生まれて準備する間もなく父という《役柄》を生きている。50歳を目前にして老いていくことを受け入れられたり、られなかったりな《役柄》。

与えられた《役柄》には抗えない。受け入れて遂行あるのみ。例えば、作家として認められたいとどんなに思っていても、その《役柄》の台本がまわってこない限りは、全うできない。できるのは、準備しておくことだけだ。文学賞の予選を通過することが何度かあったり、最終選考まで残ったこともあったヨ。もしかすると、あれが最初で最後のチャンスだったのかもしれない。突き抜けきれない男を知らないうちに演じさせられていただけだったのかも。もう小説家としてスポットライトを浴びることはないのかもなあ。でも、台本にはこう書いてある。

「諦めるな、継続あるのみだ」。

それが今のわたしの《役柄》だ。むしろ《役割》? 陳腐な台本。だけれど、家族に認められて幸せだし、今は「死にたい」とか思わないし、健康体。文句の付けようのない《役柄》を与えてもらった。いつまで演じる権利があるのかわからんが、懸命で賢明にやりますよ。仕事に就いていないし、まあ、だから貧乏なんだけれど、読み方によってどうにでも取れる台本だ。しかも、自分で書き直す余地さえある。今のこの《役柄》をなんて命名すればいいのか、謎。運命づけられた人生だけど、どうにでもできる人生。神様が決めた《役柄》だって言いたいところ。でも、陳腐だから、そんなことは言わない。全力で与えられた《役柄》を生きてやるさ、って重複するなあ。自分の望む《役柄》が巡ってくること、バカ正直に待っている。今は《努力》するターン。無論、苦しくなんかない。むしろ楽しい。本を読んで情報収集したり、取材を目論んだり。わくわくしかねえヨ。

きみは自分の《役柄》に満足してる? してないなら素直になりなよ。悲しくても虚しくても演じてみて。角度を変えたら、違って見えるかもネ。自分自身が嫌いでも毎食「いただきます」を言えてるなとか、誰にも認められないって嘆いているけど実は間接的な部下に慕われているかもしれませんネ。

毎晩、家族と川の字になって寝ているけど、先日の夜、妻が「何か話して」と言うので《役柄》のことを話した。うまくまとめられていなかったから、この文章以上にたどたどしい話になり、妻はわたしの声ですぐ眠ってしまったんだよね。でも、娘は中学生のわりに大人だから、「わかるわ~」って言ってくれて。今回も「誰かに伝われ!」って思って書いているけれど、伝わるかな。ぺらぺらに薄い内容だから、誰も共感しないかな。

懲りずにもうひとつ小ネタを。父はガンとの闘病中であり、認知症も進んでいる。草野球でドデカいホームランを打った父、ブラック企業から救い出してくれた父。わたしにとってはスーパーヒーロー。でも今はそんな父の姿はない。でも、おじいちゃんになった父は、かわいいおじいちゃんの《役柄》を、父なりに受け入れて生きている。認知症だってきっとわかっている。いつかそれすらもわからなくなったら怖いけれど、良い息子の《役柄》を生きる番だ。「お前と飲むと楽しいなあ」って言ってくれる父に感謝。父を支えている母には頭があがらねえな。

冒頭の思考をネガからポジに変えて、その《役柄》を生き抜きたい。『誰よりも一生懸命生きていて素敵。いつか報われる順番が来なくても十分さ。誰かが認めてくれている』。与えられた《役柄》に不満を言うのではなく、受け入れて満ち足りていることを認識し、感謝して日々に暮らしたい。「次はもっと素晴らしい《役柄》がまわってくる」と信じることさえ違くて、今この瞬間の《役柄》が幸福かも? それが《腑に落とす》のは、難しいことなんだなあ。だから挑む価値はあるヨネ。

なかがわ よしの

生涯作家投身自殺希望。中の人はおじさん。早くおじいさんになりたい。

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