わたしたちはどう働くか

住人

猫。
彼/彼女たちを見ていると自由だなぁ~ってうらやましくなる。実際は猫は猫で大変なのかもだけれど、うちの猫ちゃんたちを見てると、幸せな《猫生》だって思うわけ。ごはんに困らないし、トイレも清潔にされているし、何より愛されちゃってるもの。わたしなんて妻や娘よりも《愛をスクリーム》してるんだ。多分、妻と娘も自分の命より猫たちを優先する心意気で生きてるってことは痛感。愛だよ、愛。こんなに愛を注いでいいのかってくらい、恵まれてる、溺愛なうちのコたち。猫は働かなくてもいいんだよね。野生の猫は毎日獲物を捕らえて、えらい!と感心するけど、それも仕事じゃないんだろうね。生きるため? じゃあさ、人間にとっての仕事ってやっぱり生きるためなのかなって考えちゃった。誰もが何度も考えている疑問に足をまた踏み入れてしまった。
人間。
理想としたら、わたしたちらしく、わたしたちであればいいのに、そう言っていられない。職場では人間関係の軋轢に悲鳴をあげたり、退屈すぎる流れ作業に鬱屈としたり、逆に「なんでこんなに忙しいの!」って苛立ってみたり。あなたなら「どうして大人は働くの?」という難問にどう答えるのだろうか。わたしは「稼ぐため」って答えちゃうかな。高校生の娘の今や未来のためだし、多忙な妻を少しでも助けたいと思うがゆえ。でも、それで自分は幸せなのかな? 自分らしいのかな? 今の仕事は弁当屋でおかずを盛り付けたり、食材を切ったり、洗い物をしたりしている。満足している。できればこのままこのお弁当屋さんで永遠に働きたい。スタッフさんもいい人たちばかりだし、同僚もやさしく、多様で、老若男女の人が働いているし。
書くこと。
それがわたしの一番の関心事。働いていない過去も書いていたし、働いている現在も書いている。書くことは趣味で人生そのもの。ライフワークなのよ。書いていられることに、わたしは幸せ者と思える。以前の記事でも書いている通り、誰かが読んでくれることは重要じゃない。いかに自分がノリノリで書けるかが重要なこと。今、取材や調べものなども含めて3年くらいかけて書いている小説が進み中なのだけれど、これに着手する前は公募の新人賞ありきで書いていた。でも、今は逆になっていて。良い吸血鬼小説を書くことが前提で、下読みさんや選考委員のことなど微塵も考えず、書き進めている。シンプルに《闇雲に書きたい!》から。職業じゃないから楽しいのかな、それは強がりかな。でも出版に興味もないし、成功にすら無関心というのが本音だぜ。
仕事。
改めてその意義を考えてみる。お金のためだなって、やっぱり思うわけです。少しも意外でないし、在り来たりだなあ。こういう時に哲学的にカッコいいこと書いていたいけれど、う~ん、金、金、金って大切だけどさ。
お金。
あればいいってもんじゃない。でも、たくさん欲しくなるよね。金持ちなのに脱税する人たちの気持ち、わかります。こないだクレジットカードでエフェクター(ギターなどの音色などを変える機械)を買ってしまって、だから今は金欠で、単純に「お金ほしい!」。娘に小遣いいっぱいあげたい。妻と立派でおいしいディナーコースしたい。高級車に乗りたいのかな?家はほしいのかな?どこまでお金を欲しているのか境界線がわかりませんね。それらってわたしにとって本当に幸福なことなのか。いや、違うな。きれいごとだと笑ってくれて構わないが、わたしは今の極貧な人生が好きだ。貧乏なのは好きなことを見つけた、しっぺ返し。それでも妻や娘に愛されていて満足ですよ。彼女たちはもっと楽に生きたいのかもだけど。稼いでこられる夫/父じゃなくてごめんよ~。引っ越し前に、向かいに裕福かつ仲良しで暮らしている家族があったっけな。若くして家を立てて、みんな性格も良くて、ほどほどに働いていて、息子さん、娘さんも順調(そう)に成長していて、恨みたくなるくらい、うらやましかった。それでも、入れ替わりたいかと聞かれたら、NOと答えますよ。我々中川家を愛してるからだ。
意味。
働くことに意味を求めちゃいけないのかもなぁ。「なんで働くの?」って無限ループするだけだしなぁ。書けばその答えに導かれると思って書き始めたけれど、無理らしい。答えは、どんどん遠ざかっていく。働くことに意味なんてない。わたしたちは所詮、無意味の塊だ。死んだら土か空に還る。そんな単細胞な頭で考えたって、答えなんて見つけられはしないよ。「わたしたちはどう働くのか」のAnswerは「ごちゃごちゃ言ってねえで、人間らしく働け!」ということじゃないかな?

なかがわ よしの

生涯作家投身自殺希望。中の人はおじさん。早くおじいさんになりたい。

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