カーナビのジレンマ
ちょっと、みんなカーナビに依存してると割と大変な思いをすることになるかもですよ、という旨の話をさせてください。
これは私が6月1日、某件で某Hさんとの待ち合わせのために信濃町から長野市まで車を走らせている中で感じたことなんですけど。
私は5月31日の夜に、信濃町のLAMPというゲストハウスに泊まってたんですね。信濃町は長野市から31分くらいで着く山間の町です。
なんで泊まってたかっていうと、その日は長野市で面接があって、それが終わった自分への御褒美に、ゲストハウスでビール飲んだりサウナ入ったりしたいなと思ってたからなんですが、この時はまさか、あんな事が起こるとは夢にも思ってもいませんでした。
しかも、面接が割かし手応えを感じるもので、やっぱ自分の進む道はこっちだな~なんて思いながら、信濃町に意気揚々と車を走らせていたことを覚えてます。
カーナビを駆使しながら。
カーナビというか、GoogleMAPというか、最近はiPhoneに元々入ってるマップっていうアプリを使うことの方が多いんですけど、そこは割とどうでもよくて。
要はカーナビアプリを使って信濃町まで向かった訳ですが、お陰様で未開拓の道も迷いなく進み、霧の中でも無事に目的地に辿り着けた訳ですね。カーナビ万歳。
思い返せば、今年の冬に車を納車してから、カーナビばっかり使ってきた気がします。何度も通っている道も、不安なので一応マップアプリを起動させておいたり。まぁ、お守りみたいなものですね。
だって、怖いじゃないですか。最近は交通事故の悪いニュースも増えてるし、明日は我が身かもと思って念には念を入れたい訳ですよ。
そんなこともあって、車の進路はカーナビに任せきり。たまに明らかに遠回りの道とか、変な道に誘導されることもあるんですけど、最終的に着くので、やっぱりカーナビを信頼している自分がいます。
だから、と言って、言い訳するつもりはないんですけど、結論から言ってしまうと、私は、Hさんとの打ち合わせに遅刻しました。カーナビアプリが使えなかったことが原因で。
信濃町を出て、内定祈願も兼ねて戸隠神社に寄って帰ろうと思った時ですね。何故かは未だに分かりませんが、何の前触れもなくスマホの電源が切れたんです。ブチッと、急に。iPhoneSEだし、かなり酷使してるし、そろそろ寿命かなと思ってた矢先の出来事でした。すまんiPhoneSE、許してくれ。
モバイルバッテリーも持ってないし、車に備え付きの充電を使っても何故か反応なし。カーナビアプリはおろか、遅刻しそうだという連絡も出来ないという状況。現代人にとって不安すぎるやつ。
という訳で、正真正銘、自分の脳みそで戸隠の山中から何とか長野市までの道を選んでいかなきゃならなくなったわけです。試される脳。
戸隠から信濃町への帰りの道は未開拓。
これまで全てカーナビアプリが道を指し示してくれていたからか、自分の脳だけで運転するとなると、並々ならぬ不安が襲ってきます。
自然と周囲の景色、ウィンカーの方向を覚えること、そうしたリアルに向き合う一つ一つの要素を放棄していたことを悔やみました。情けない。
元々、方向感覚が鈍いのにも増して、カーナビアプリに頼って方向感覚を鍛えることすらしてこないと、有事の際にはこんなに自分が頼りなくなるんだなと痛感しました。
しかし立ち止まっていても時間は過ぎるばかり。待ち合わせの時間が刻一刻と近づいていきます。こうなったら、現実を直視してやる!と意を決して、なんとかリアルタイムで標識を頼りながら長野市へ向かいます。
分かる人には分かると思うんですけど、戸隠→長野市の道中は、山から市街地へ向かう下り道が主になるんですが、途中でそこそこ長い上り道を挟むんですよね。
当然、当時そのことを知らなかった私は、上り道にさしかかった時「え…?上り?向かってるのは市街地だし、下らないとおかしいよね?この道マジで合ってるのか?白馬の方とか行かない?大丈夫?」と疑問符にまみれ、この上なく不安になる訳です。
上り道を半信半疑で進んでいくと、道端に蕎麦屋がありました。スマホに頼れないなら、もう、原始的に人に頼る他ない!不安に耐えきれなくなり、意を決した私は、これまでに培ってきた飛び込み営業スキルを総動員して蕎麦屋に突入しました。
「すいません。この道、長野市に続いてますか…?」なんて聞きましたところ、合っているということで、加えて蕎麦屋の方々は非常に丁寧に道を教えてくれました。山道の救世主(メシア)。
という訳で、そのまま道を真っ直ぐ信じて突き進み、無事に長野市に辿り着くことが出来ました。途中の「七曲り」と呼ばれるカーブの下りはアトラクションみたいでメチャクチャ怖かったんですけど。
という訳で、最終的には無事に目的地に辿り着き、Hさんとも会えた訳ですが、遅刻をしたHさんには申し訳ないことをしました。ごめんなさい。
このように、カーナビに頼りすぎていたことにより、トホホな顛末に遭遇した私だったのですが、なんといっても自分のナビ能力が退化していくことに結構な恐ろしさを感じました。
誘導された道に進むのは楽だけど、自分で道を選ぶ脳みそを使わないと、どんどん人間の「選ぶ」能力は退化していくというジレンマ。
この経験から少しでも何か教訓を残そうと思った自分は、このジレンマを「カーナビのジレンマ」と勝手に呼ぶことにしました。みなさんも良かったら、どうぞ使ってください。
あと、こんな経験をしてから、就活の相談をHさんとしていると、あれ、これ就活にも「カーナビのジレンマ」ってあるな、と気付いたので、その話も少しさせてください。
私についてなんですが、東京でも就活し、地方でも就活し、進路について右か左かと色々と悩み迷った結果、本当に地方に就職したいと思って、地方に就職することを決めたという経緯があります。
でも、周りを見てると、スカウトされたから、家族の意向だから、早く就活を終わってほしいと言われているから、社会に求められてるから、みんな都会にいるから、大企業の方が安定だから、みたいな外部理由で就職先を決めてる人が多くて。それに自分はずっと違和感を持ってきてたんですね。
周りの意見とか、社会の風潮とか、それって就活における「カーナビ」的なものなんじゃないかなと。
確かに、就活における「カーナビ」で道を選ぶのは楽なんです。ずーっと道なりで、ウィンカー出さなくて良くて、音楽聞きながら、友人と談笑しながら運転することもできる。
ただ、「カーナビのジレンマ」を経験した私からすると、その「カーナビ」がブッ壊れた時に、最終的に頼れるのは何といっても自分なんだよな、っていうことを感じる訳です。
「カーナビ」依存してると、選ぶ力がどんどん失われていく。就活でも何でも、自分の意思で決める、っていう力が衰えていくと、最後に困るのは自分ですからね…。
なんて言いながら、やっぱりまだ自分の方向感覚には自信が持てないし、カーナビの方が信頼できるシーンは多いのも事実。事故も怖いし、まだ私はカーナビを使ってるんですけどね。でも、少しずつ、少しずつカーナビ離れしてこうかな。リアルと向き合うぞ。
という訳で、皆さんもカーナビの使いすぎには御用心を。現場からは以上です。
はじめまして。7号室のうめこです。
車を持っていないし絶望的なペーパードライバーなので縁がない話かなと思いながら読み進めていたら、今まさに私が悩んでいることが話題に出てきて驚きました。
私はいわゆる、カーナビで進路を決めるタイプの人間です。このお話を読んではっとしました。カーナビを手放したとき初めて、私は私と向き合えるのかもしれない。カーナビを手放して、自分の声に耳を澄まして、納得のいく決意をしたいと思います。ありがとうございました。
こんにちは。8号室の山吹です。
返信遅れました。「カーナビ」に依存してると、いざ!というときに自分に頼れなくなってしまうジレンマ。
「」の中身は、「家族」でも「恋人」でも「友人」でも、皆さんそれぞれに通じるところがあると思いますが、
うめこさんの言う通り、自分の声に耳を澄ませることが一貫して大事なのかなと私も思います。
コメントありがとうございました。