成功はいりませんという辞表を。

住人

仕事が続かない。もって3年。ここ15年くらいは、ある日、突然、会社に行けなくなって、バックレるという辞め方が続いている。6社か7社に迷惑を。妻が尻拭いをして気の毒な目に。全部精神病のせいにしたいが、もう46間近だから大人にならないとな。20代の頃のアラフィフは立派な人間、もしくはがんばってるおじさんをイメージしていたが、なんだこの現実は。夢じゃないの? 永遠にガキなのか、なんなのか。今時mixiやってる場合じゃねえけど、楽しいから。それも個性でしょう? オリジナリティのある人になりたいけれど、なかなかなれないな。誰かっぽい生き方しかできねえんだよ。でも、こんなわけのわからない文章は、誰にも意味不明だから、個性を獲得しているのかもな。何かになろうとするんじゃなくて、今の自分は何を手にしているのかを考えるのかが大事な気が。

仕事が続かないことも、もはや個性ですかね。いっそのこと独立してライター業やるなり、イベンターでもやるなりも考えたが、体も心も無理だって拒否。自営業で月に20万円越えは至難の業。生涯作家を謳って生きているのですが、そんな看板も降ろして《商業作家》になることを目指そうかとも、一瞬、トチ狂ったけれども、共感してもらうことが無理だし、迎合なんてまっぴらなので、ソッコーで却下。てゆうか、商才はないから、いくら努力したところでベストセラー作家にはなれないだろう。自主企画したライブイベントで25万円もの赤字を出した輩ですからね。村上龍が「小説家は最後の最後になるもの」と書いていたけれど、まだまだわたしは最後まで追い詰められていないってことでいいんだよね。精神的には毎日いっぱいいっぱいなんだけどな。会社に行くだけでもつらい。だから辞めたい。《死にたい》が隣にいつもいる、息を潜めて。匂いがしないから死に神は厄介だね。いちいち《なんで死んでしまいたいのか》なんて落ち込むのはめんどうだから、《死にたい》はうざったい友だちと思うことにしたヨ。それは一生付き合っていくということ。病気は完治しない。「薬漬けでも生きろ!」って竹原ピストルのアツい絶唱を歌う。

今後の仕事も2、3年の周期で辞めたり就いたりを繰り返すんだろうか。そういえば幼い頃、大きかった父は3年に一度は新車に乗り換えていた。60手前で仲間の人と会社を起こして《しゃちょう》してたな、今は離れたけれど。なので、わたし10何年前から最近までは《しゃちょう》の息子だったわけだが、それを選ばなかった。親の敷いたレールを走るのはごめんだよってカッコつけて。父の意思を継いで、働いてたらどうだったのかな。精神病にはならなかった?ああ、でもいずれはダメになっていたわたしだと思うの。それとも、偉大な父の血を受け継いでいるから、わたしもその気になればリスペクトされる男になれた? いずれにしろ父も会社勤め/雇われ人という生き方に窮屈さを感じていたのかなあ。母は不安じゃなかったの?って想像したけれど、彼女は信じて/安心して、見守っていたのかもしれない。

ともあれ、成功なんてしたくない! 妻と娘と仲良くできれば、それだけで嬉しいし、死ぬ当日まで何かしら書けていたら、それで満足だな。《仕事》はわたしの人生/LIFEにとって何番目の優先順位なのか。1位/家族、2位/書くこと、3位/病気と付き合うこと、4位/睡眠、5位/音楽、6位/ダイエット、7位/入浴、8位/仕事。っていうランキングかなあ。ちなみに9位/性的衝動、10位/食事。となっております。仕事続かないわけだ。逆に仕事好きな人っているのか?!うんにゃ、いるんだろうねえ。多分、そんな人は自分に自信があるんだな。羨ましい。わたしには微塵もない、自信。上司に指示をあおぐためにひと言声をかけるのも怖いし、いつだって《怒られるんじゃないか》と窮屈に働いている。ブラック企業で罵倒された日々のトラウマ。ホント、《人生返せ、大沼》って何度も書いてるけど。

仕事は楽しいものであるはずって言ったらアマチュアか? お金のために文句も言わず働くのがプロフェッショナルか? どちらも正しくない気が。仕事ってなんだ?って多くの人が問うてるから、わたしがそれをする必要はないな。ただ死んでまでするのが仕事ではないヨとだけは言いたい。仕事で苦しんでいる人に。わたしも同じように仕事をしていると、2年勤続くらいから疲労してきて、死にたくなるをループしてるんだよね。今の仕事もそのうち辞める。そして妻が《退職》という名の迷惑を被り、会社に頭を下げるっていう。すみません。でも命を懸けて仕事をするほど愚かなことはない。明日、辞表出すかな。

なかがわ よしの

生涯作家投身自殺希望。中の人はおじさん。早くおじいさんになりたい。

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