語られないあなたの物語へ
図書館のバイトをしている。私は以前まで図書館の仕事といえば、貸し出しのカウンターや貸し出された本の返却を思い浮かべていた。でも図書館の仕事はそれだけではない。図書館には様々な役割があるのだ。
時代に合わせた偏りのない選書。背表紙が見やすいように、本を痛めないように行う書架整理。蔵書点検。季節に合わせた本の展示。そして本の除籍。
先日、初めて本を除籍する作業を行った。除籍される本一冊一冊に「除籍」のスタンプを押していく。昔の本から割と最近のものらしい本まで様々だ。本の後ろに付いている貸し出された記録の紙を見ると、一度も借りられていない本も決して少なくはなかった。著者のメッセージがこもった、読まれなかった本。選ばれなかった本。それを見て私は悲しくなった。考えてしまった。
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読まれなかった本に存在意義はあったのか?
語られなかった物語は存在していなかったことになってしまうのではないか?
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この疑問をわたしなりに考えていくうちに、4年前に起こった相模原障害者施設殺傷事件と結びつきを感じた。この呼び方だとピンと来ない人もいるかもしれないが、2016年7月26日に津久井やまゆり園で起こった大量殺人事件のことだ。
犯人は「重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていないところだと聞きました。障害者は不幸を作ることしかできません。」などと述べ、明確な殺意をもって殺人を実行した。確かに、重度の知的障害をもつ人々は言葉も話せないし意思疎通もできない。他にも「普通に生活するため」のことができない。
でも多くの人々は、この犯人の言動は間違っていると感じるだろう。わたしもそうだ。
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話せない人間にドラマがないと言い切ることはできるだろうか。
何もできない人はいないのと同じことになるのだろうか。
言葉を持たない人は人に影響を与えることができないのだろうか。
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そんなことはないだろう。人は生まれてきた以上、人と関わってしか生きていくことができない。その関わりそのものがその人のドラマなのだ。何かができない人がいることで、何かができるようになった人がいるだろう。言葉を持たない人の動きに、振る舞いに、心を動かされた人もいるだろう。そもそも世界には言葉を話す生物の方が圧倒的に少ないのだ。草も花も虫も動物も、彼らが何も語らなくとも私たちは何かを感じている。できないことは、悪いことじゃない。自分のできないことを認められない人が、できない人を認められないだけなのだ。
そこにいるだけで、どんな人だって人に影響を与えて生きている。その人が語らなかった物語で、他の人が生きている。
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もうわかる。読まれなかった本はなかったことにはならない。
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だから、語られないあなたの物語にも、居場所はちゃんとあるんだよ。自信を持って人に語ることのできる成功体験、大きな挫折、いい子にしている面、他の人に好かれる点、それだけがあなたではないでしょう。あなたのあなたたる所以は、あなたの語られない物語にこそ書かれているものだよ。そのことを、わたしはわかっているよ。
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あなたは、あなたでいていいよ。
あなたの物語の全てで、わたしはあなたのことが好きです。
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大好きよ、と呟くくちびるの先で赤とんぼたち未来へ向かう
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