死、幸せ、生。

住人

6月1日、ばぁちゃんが亡くなった。

中学にあがるくらいまで、家の都合で、母方のじいちゃんばぁちゃんちでほぼ育てられてきた。自分が産んだわけでもないのに、僕と弟をよく面倒を見てくれたなと思う。

人前で涙を流さないように、葬儀まわりを率先して行動してきた。それでも、だんだんと、僕と弟を面倒みてくれたじいちゃんとばぁちゃんは、もうこの世にいないのだ、という事実がよりくっきりと形になってきて、辛く感じた。本来親がやるべきとこまで面倒みてくれた2人は、もういなくなってしまった。亡くなった日、風呂場でひとり声を上げて泣いた。

ばぁちゃんが、何を大事にしていて、どういう価値観をもっていたのか、わからない。よく死を仄めかす言葉を言っていて、その度に、ばぁちゃんが死んだら悲しい ということは伝えてきた。死を仄めかす言葉をよく言っていたばぁちゃんの死因は老衰。1日朝に呼吸がおかしくなってから、その日のお昼まで、よくがんばってくれたなと思う。

今年入ってから、特にばぁちゃんの具合が悪くなった3月から、僕は心身の調子を崩すことが多かった。亡くなってからの6月はさらに余裕がなくなってしまい、完全に疲弊していた。なんで自分が生きているのか本当にわからなくなったし、生き続けたいという気力がなくなった。

しばらく時間がたち、身体の調子が限界レベルで悪くなった。思い切って有休をとって、3軒の医者を梯子することにした。医者に行った後、とりあえず大戸屋へ行き、ノンアルコールビールとわらび餅とチキン定食とチキンサラダを食べた。2000円した。おいしかった。これからの自分を良くしていきたいな、と、頬張りながら僅かに思った。

その後、自分にとって楽しみな予定ができた。14年間住んだ長野に行く予定ができた。

長野に行く前日の金曜日の夜、どういう状態だと自分は幸せなのかという問いをたてて、しばらく生活していなかったな とふと思った。過去の自分が教えてくれるかもしれない。そう思った僕は、本棚に手をのばし、自分で作った本を手にとった。昔は1年に1度のペースで、自分しか読まない本をつくっていた。楽しかった思い出を文章にして残したり、美しいと思った景色の写真が収められた本。その中には、様々な人の中でイキイキと過ごしている自分の姿があった。ワクワクした感情を持った自分がいた。楽しいと感じて過ごした美しい日々があった。

自分にとってどういう状態が幸せなのか。生きることが怖さから逃れることでなく美しいことだと思えたら幸せだろうし、ワクワクする時間が多かったら幸せだし、なごやかに人と一緒に生きられたら幸せだろうな。なんとなくではあるが、認識できた。本つくっておいて良かった。

土曜日、長野にいった。善光寺を参拝し、人と会って話して、権堂を散歩して、ご飯を一緒に食べて、その後に権堂のまねきねこでヒトカラして、また権堂を歩いた。そうすると、14年間長野で住んでいた時の自分が今の自分の元へ降りてきた。自分でつくった本の中にいる自分が、今の自分と重なった。イキイキとした感覚があり、ワクワクしていて、楽しいと感じた。このまま長野に住んでた時の家に帰ってしまいそうな感覚になった。

普段は地元で暮らしているが、これからどこに行くか分からんし、住む場所にこだわりはない。それでも、ここは帰ってくる場所のひとつ。紛れもなく長野市は僕のホームタウンなのだ。

そして自分にとってどういう状態が幸せなのか、もうひとつ分かった。表には見えない心の深い部分の話を人と共有できることが幸せなんだ。悩みとか、不安とか、価値観の部分。長野にいた時は、それができた。おどりばの住人と会って話したり、愚痴聞き屋として参加させてもらった時に人の愚痴を聞いたり。そのほかにも、いろんな場所で、いろんな人と、そういう話ができた。それが自分にとっての幸せで、だから長野にいた時に充実していたんだなぁ。すぐ駄目になってしまうし、生きることが怖いと感じてしまう自分でも、それでもいいと許されるような雰囲気があった気がする。

幸せだ、と言える瞬間。
心が健やかだ、と感じる瞬間。
自分にあげていかないといけない。
そうすれば、まだ生きられる気がする。

まとまらないけど、これが近況です。


土曜日は、幸せだと言える瞬間があって、心が健やかで。見える景色は鮮やかだった。生きていく先に、同じような景色をまた眺めることができるのであれば、駄目な自分であっても今の自分のまま生きていける。そう感じてしまった。


ワタナベ

新潟県上越市生まれ。THEYELLOWMONKEYが好きです。

プロフィール

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