自分を信じない

住人

生涯作家として生きていくつもりだから、≪なかがわよしの≫は自分が信じてあげないといけない。誰が応援してくれるんだ。おれしかいないじゃんか。人生が爆発する前に、逃げずに食い止めろ。何言ってんだ。小説を酷評された帰りに聴いたのは、グリーンアサシンダラー。染みたね。あのシチュエーションなら、どんな曲だって心に響いたかも。でも、グリーンアサシンダラーは至高。傷口にやさしく染みた。痛くはなかった。ただただ癒した。表現者として烙印を押された夜。芸術家として称賛された夜。それが同時にやって来て、気持ちを真っ二つに引き裂かれそうに。以下、小説のWSで講師に言ってもらった意見。

「これは小説ではないと思います。小説というフォーマットでこれをやる必要性をまったく感じません。詩を書いていればいいのでは? 好き勝手に音楽にすれば? わたしには難しい小説でした。良いのか悪いのか、それ以前の問題で、小説としては読めない。いろんな小説があってもいいけれど、なかがわさんのこの作品にはエゴしか感じませんね。もちろん評価してくれる人もいるでしょう。でも、わたしみたいに認めない人間がいることを忘れないでください。自分を信じてね」

一方で主催者のひとりの男性からはこんな感想ももらった。

「ぼくはなかがわさんを支持します。いちばん面白かった。音楽的だし、チャレンジしていて素晴らしい。ぜひ≪らしさ≫を失わずに書き続けて。自分を信じてね」

自分を信じるとはどういうことか。それは迷うことを恐れないということだろうか。恐れすぎて小さくまとまりたくない。もう50歳目前で、余命は僅かだし、誰でもない小説を書いてゆきたいし、それ以外に何が大事? 称賛とお金。ブランド力と権威。いらない、いらない。ただただ書いていたい、自分のために。自分だけのために。マスターベーションをお見せしています。見たくないなら読むのをやめて。時間の無駄だよ。自分を信じるということに時間を割きたい。家族や生活を犠牲にしなくてはならない。それだけの覚悟か。これだけの覚悟が。不安にならないように、自分を信じるんだ、信じるからこそ不安になるんだ。一進一退、僅差の攻防。死ぬまで続くんだ。おどりばで死ぬまで書き続けるんだ。上の階に何があるのか知らない。下の階に誰が待っているのか忘れてしまった。ここはおどりば。ただのおどりば。でも一休みというわけにもいかない。果たして上なのか下なのか行き先がわからない。多分、下から来た。でも、きっと上には何もない。

帰りの車の中で、ぐるぐると講師が言ったことを思い出して、どうしたら小説をよくできるかを考えた。本を読むこと? もっともっと書きまくること? 別に商業作家になろうと思ってない。趣味の域ではなくて、生涯作家として言葉を紡いでいく心意気は。がむしゃらに書く季節はとっくに過ぎ去った。永遠に遠泳できる年齢ではないし、100mを11秒台で走れた若い時のように爆発力/瞬発力もない。言葉を慎重に選ばねば。勢いに任せて書かねば。キーボードをタッチする速度を高めたい。無駄なタイピングミスは避けたい。

奇しくも講師は「指で考えなさい」と言った。その通りで、爪の先まで神経を研ぎ澄ませて書かなくてはならない。それに異論はない。別に講師を批判なんてしない。ズバリと自分の傲慢さを見抜かれたので悔しかっただけ。王道な小説が書けない現実のナイフを喉元に突きつけられて、ぎょっとしただけ。そうなんだ、良い作品を残すために、指先で考えること、そして自分を信じること。講師がなんであそこまでおれの小説に嫌悪したのか、なんとなくわかる気がした。生理的に無理というか、傍若無人な姿勢を見破って苛ついたのか。言葉にはできないニュアンス。試されるセンス。そう、センスがおれとは真逆だったのだと想像する。「なかがわさんみたいに書きたいとは思わない」とは言われてないけれど、そう言われた気がした。自分も好きでこんな≪なかがわよしの≫をやっているわけじゃない。でも、不格好で、暗黒で、攻撃的で、もがいてて、必死で、叫んで、恨んで、妬んで書くしか術を知らない。技術とかよくわかんねえよ。でも感性と感覚で書きたい。自分を信じるのは技術ではない、見えない意志だ。

自分を信じてますか? 恋愛も仕事も趣味も自分を信じていないとできませんよ。哲学的なことを言ってるつもりはないけどね。単純なことです。自分は自分で信じてあげるしかないんです。自分を見放さないでくださいな。

なかがわ よしの

生涯作家投身自殺希望。中の人はおじさん。早くおじいさんになりたい。

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