犬のリードを追った僕

住人



小学三年生くらいのことだったと思う。
僕はお父さんと一緒に、犬の散歩をしていた。
うちから車で10分くらいのところにある、父方のおじいちゃんおばあちゃんちの犬だ。

僕が幼稚園の頃から、お父さんは休日の夕方に犬の散歩をしに出掛けていた。僕も、特に用事がなければ一緒に付いていった。
お父さんが犬の散歩をしに行く理由が、おじいちゃんおばあちゃんが体力的に難しかったからなのか、お父さんが好きでやっていたのか、それはよく分からない。

この日は、僕が犬のリードを持って散歩をした。
いつもならお父さんが犬のリードを持ち、僕がその周りをちょこまかと走り回りながら散歩をするのだが、この日は僕がリードを持たせてもらえた。
持たせてもらえたと言っても、リードを持つのを待ち望んでいたわけでもなかった。リードを持つのは少し怖かったし、引っ張られて手が疲れる。でもその日は、きっと持ちたい気分だった。 

犀川の河川敷に広がる畑道を歩いた。
空はどんより灰色雲に覆われ、左手に伸びる堤防道路には、近所の工場に向かうダンプカーが見える。
僕とお父さんが並んで歩き、リードの先で犬が歩いた。草と土と砂利が混ざった、景色の変わらない畑道の中を歩き続けた。
15分くらいが経った。そろそろ飽きてきた僕は、どんよりとした空と同じ気持ちになり、一瞬だけ手の力が抜けた。
と、そのとき。緩んだ僕の手からリードがするりと離れ、犬が前方に向かって勢いよく駆け出した。
僕は、やばい!と瞬時に思い本気のダッシュをした。たぶん、これが火事場の馬鹿力なのだろう、奇跡的に犬が遠く離れる前に追いつくことができた。
僕は、地面に引きずられて波打つリードの持ち手を思いっきり踏みつけて、犬を止めた。

 

そのとき不思議に思ったことがある。

横を歩いていたお父さんが、駆け出した犬を追わなかったのだ。

 

散歩を終え、実家に帰り、モヤモヤを抱えたまま僕はベッドに入った。
なぜ、お父さんは犬を追わなかったのだろう。

僕はリードが手から離れた瞬間、恐怖や焦りの感情が心に浮かんだ。
犬が逃げてどこかへ行ってしまったらどうしよう。
帰ってこなくて見つかるまで探すことになったらどうしよう。
お父さんや、おじいちゃんおばあちゃんに怒られたらどうしよう。
そんなことを考えて、絶対に逃がしてはいけないと思った。

お父さんは、あのとき何をを思っていたのだろう。
なぜ、犬が逃げても慌てなかったのだろう。
慌てて追いかける僕のうしろを、なぜゆっくりと歩いていたのだろう。
逃げてもいつかは家に帰ってくると思っていたのだろうか。
逃げたら逃げたで仕方ないと思っていたのだろうか。

今でも、たまに思い出して、モヤモヤとそんなことを考える。

 

僕はそういえば昔から、持っているものを手放すのが怖かった。
とにかく自分のものを誰にもあげたくなかったし、なにも捨てたくなかった。
仲の良い友達は、繋ぎ止めておきたかった。
すべてのものが、放したら永遠に手に入らないんじゃないかと思っていた。

最近、27年間生きてきて、なにかを手放すことに抵抗が少なくなってきた。
いらない服はすぐ捨てるようになった。
多くの人に好かれようと思わなくなった。
必要なものは、離れてもいつか戻ってくる気がするようになった。
持っているから繋がってるのではなく、想っているから繋がってる、そんな気がするようになった。

 

もしも今、僕と散歩をしている犬が、自分の手からするりと離れて駆け出したとしたら、僕はどうするのだろうか。

離れていくリードを追うだろうか。
離れていくリードを見て何を想うだろうか。

soshi

1991年生まれ。長野市出身。 大学の専攻はジャーナリズム。休学し9カ国放浪後、地元市役所に入る。福祉部門に配属となり、障害者のソーシャルワークなどを行なう...

プロフィール

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  1. ワタナベ

    すごい良かった。
    持ってるから繋がってるとは限らないよね。交友関係とかはそうで。友達って持ってるものではない。繋ぎとめるものでもない。誇示するもんでもない。想っているから、久々に会おうがそうじゃなかろうが、居心地良くやれる。信じあえる人とは、距離も関係なく、心の見えないなにかで通じあってる気がする。なんかそんなことを自分は思っています!笑

    ちなみに、自分も似た感じの話があって。母方のばあちゃんちの犬の散歩を自分がやっていたとき、リードを一時的に離したらどうなるんだろう?って思って、一瞬離してしまった。そしたら犬は猛ダッシュした。自分は「やべぇ‼︎」って思って、大声で犬の名前を二回呼んだ。そしたら想いが通じたのか、元気な犬だったけど、走るのをやめて止まってくれた。その犬ともう会えなくなるのは嫌だ‼︎って想って声を出したから、それが通じて、リードは一時的に離してしまったけど繋がっていられたのかなって思います。

    自分へのコメント返信はいいから、他の人のコメントきたらその人に返信してください。長々とごめんなさい。考えさせられる文章で、好きです。

    • soshisoshi

      ワタナベさんの犬のお話、とてもいい話だなあ。
      名前を呼んだら止まってくれた。想いってのは、もしかしたら声や言葉から伝わるものなのかもしれないですね。
      最近、「繋がり」ってなんなのかなあと考えます。社会の様々な課題において繋がりって大切だと言われるけど、繋がりって文字通りただ人と人を繋げばつくれるってものじゃないよねえ。ワタナベさんの言う通り、見えない何かがそこにあるよね。その見えない何かって、どんなふうにして生まれるんだろう。
      ありがとう、ワタナベさん。