『お葬式を黒字にしたい』

住人

「お葬式を黒字にしたい」

なんて言ったらきっと顔を顰められるだろう。
それでもこの言葉は私にとってのおまじないで最強の呪文なのだ。

お葬式を経験したことがあるだろうか、参列者ではなく喪主側の人間として。
私は、祖母を、祖父を、そして母を見送ってきた。家族以外と繋がりを持たなかった母方の祖母の葬儀は身内だけでひっそりと行われた。会社を興し、経営者としてその手腕をふるった父方の祖父の葬儀は社葬として大々的に行われた。そして若くして亡くなった母の葬儀は、家族葬と社葬の合同葬だった。三者三様のお葬式。その中でもお葬式への考え方が変わった母の葬儀の話をしよう。

母は56歳でこの世を去った。
(ちなみにこの時、私は22歳だった)
私の祖父(母にとっては義理の父)の会社で働き、社内外の人に慕われた母。ピアノやダンスを40歳を超えてから習い始め、家族や会社以外の人とも積極的に交流していた母。人との繋がりを丁寧に、そして大切にしていた母。そんな母の葬儀はたくさんの人が来た。葬儀場には溢れるほどの花が贈られた。それはそれは壮観だった。葬儀場のスタッフの方に「私はもう十数年ここで働いてるが、こんなに花が溢れてるのは見たことがない」と言われた。贔屓目に見ても良い葬儀だった、と振り返って思う。

でも、私が良い葬儀だった…なんて思えるようになったのは、参列者の数でも、贈られた花の数でもなかった。

私が良い葬儀だったと思えたのは、不躾にも御香典の額だった。

私は、母の葬儀にいくらかかったか知っている。
だって、棺やお花、精進落とし、プランを選んだのは私だから。
そして頂いた御香典の額も数えた。家族葬と社葬の合同葬だから数えたのは家族葬分のみだけど。でもあとから社葬の分もその額を聞いた。

ざっくり見積もっても黒字だった。

冠婚葬祭はだいたい赤字になるものだと思っていたから、「黒字になることもあるんだ」と割と素直に驚いたのも覚えてる。
というか、「お葬式 黒字」で調べたら「葬儀費用は御香典では補えません」的な回答が出てきたので、母の葬儀に関してはレアケースだと思って読んで欲しい。

話は前後するが、私は母の葬儀を通して、お葬式とは「家族のためのものではない」と思った。もちろん、時と場合、そして故人にもよる。ケースバイケースだ。祖母の葬儀は、100%家族のためにあったと思う。でも、母と祖父の葬儀は、家族のためではなかった。

母を亡くした悲しみに浸る間も無く、葬儀の日取り、流れ、その他諸々を決め、亡くなったことを方々に連絡する。(これが一番キツかったかも。)そして当日はお悔やみの言葉を受け止め、そして泣いて悲しんでくれる人を慰める。
一番辛くて悲しいのは、私達家族のはずなのに、なぜ私達は、私は、自分の涙を堪えてこの人の背中をさすっているのだろうか。なぜ、私は、こんなにも誰かの悲しみを浴びなければならないのだろうか。私の悲しみは誰が受け止めてくれるのだろうか。そう思って、気が付いた。「ああ、お葬式とは家族のためのものではないのだ。家族以外の、残された人々が故人にお別れを言う場なのだ」と。そうして葬儀を終えた。

それから次の日には、芳名帳のリスト化を始めていた。きっと心が壊れていたのかもしれない。悲しみに暮れるでもなく、ただ淡々と参列してくださった方のお名前をパソコンに打ち込んでいく。それも早々に終わってしまったので、なんとなく御香典の数と額を数えてみた。参列していない人の名前でも御香典があった。きっと参列する人に託したのだろう。それら全てを数えた結果、結構な額だった。

その数字が、私の悲しみを受け止めてくれた気がした。おかしいとも思うし、イかれてるとも思う。でも、私は「御香典の金額」という残酷でわかりやすい指標をもってして、やっと母の葬儀は良い葬儀だったのかもしれないと悲しみを受け止められながら思ったのだ。

もちろん「良い葬儀」と「御香典の金額」はイコールじゃない。

「良い葬儀」とは何か、なんてわからない。だいたい、お葬式の良い悪いを捉えるのは喪主側ではなく参列者の方達だ。それでも私は、その数字を見て「良い葬儀」だと思ったし、母のように私も「お葬式を黒字にしたい」と。母は別に「お葬式を黒字にしたい」と思ってはなかったと思う。そんなこと微塵も考えてなかっただろう。でも彼女の生き方、あり方、その終わり方は結果としてお葬式を黒字にした。

そしてその黒字にしたという事実は、私の心を変化球的に癒したのだ。

正直にいうと、お葬式は出さない方が残された家族のためだと私は思う。私が感じた悲しみに悲しみの追い討ちをかけるような体験を家族もしてしまうかもと思うとすごく辛い。でも、冷静に自分の立ち位置や築いてきた人間関係を見つめた時、お葬式を出さないという判断は難しいだろうなと思う。

(これは私が傲慢だからそう思うのではなく、いや、まあ、私はとても傲慢な人間なんだけど、うん。でも、ありがたいことに周りに良い人達…きっと私の死を悲しんでくれるであろう人達に恵まれたと思ってる)

それならばせめて、お葬式を黒字にしたいと思った。黒字にしたら、少しは家族の悲しみが和らぐかもしれないと不遜なことを思った。でも、より深く考え、こう思った。

私は、

お葬式を黒字にできるような生き方をしたい。

実際、自分のお葬式が黒字になるなんて思ってない。黒字にしたいと黒字になるは別物だ。だいたい、私はその時死んでるので、自分のお葬式が出されるかどうかも本当のところはわからないし、ましてや黒字になるかなんてわかりっこない。黒字になろうが赤字になろうが死んでる私には関係ない。矛盾してるけど、私の中では矛盾してない。だって、これは実際にどうこうじゃなくて私の生き方の話だから。

「お葬式を黒字に(できるような生き方を)したい」

そう思ったら、少しワクワクした。

そんな風に人生の終わりを決めたら、
少し今の生き方への考え方が変わった。

お葬式を黒字にしたいなら、
自死だけは絶対ダメだと思った。

生きるのが下手で、すぐに自死という名の死神に唆されがちな私は、「お葬式を黒字にしたい!」と思うことで死神の撃退に成功した。それでも死神は結構しつこく唆してくるので、その度に「ええい!うるさい!うるさい!私はお葬式を黒字にするのだ!」と戦っている。もはやこの言葉は私にとっておまじないだ。なんなら最強の呪文と言っても過言ではない。

「お葬式を黒字にしたい」

そう心に想うことでなんとか今を生きていけると感じているのだ。

(私が死んだら棺を秋桜で満たして欲しい)

しえさん

どこかの映画館にいるような、いないような人。被り物はもういらない。

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  1. しーちゃんしーちゃん

    しえさん(さん?)へ。

    私はお葬式に出たことがありません。だから、たぶん、お葬式に出たことがある人のようには、「死」というものの重みをきっとわかっていないし、同時に過剰に想像している部分もあるのだろうなと思っています。
    しえさんがどんな気持ちでお母さまのお葬式に出られたのか。22歳ということは、ちょうど、今の私の年齢です。ありきたりな言葉でやるせないですが、お辛かったことと思います。
    全く異なる母との別れを経験した私たちですが、しえさんが先日お話してくださった「少しわかる。似ている。」という言葉の意味が、私もわかる気がしました。(こちらの記事へのコメントとしては論点?がずれているかも。すみません。)
    私たちにとって、母は、よくも悪くも、つきまとってくるのですね。悪いことばかりのように思っていましたが、ある意味で、それは指標にもなる。どんな人間になりたいか。どんな最期にしたいのか。それは、プラスに働くこともありますよね。
    …あー、全然伝わっている感じがしません。感じたことが多くて、伝えたいことが多くて、全くまとまっていないことがとってももどかしいです。とにかく、またしえさんとお話がしたいです。雑なまとめで申し訳ないです(´・ω・`)

    • しえさんしえさん

      しーちゃんさんへ。
      コメントありがとうございます。嬉しくて何度も読み返していたら、あっという間に時間が過ぎていてお返事が遅くなってしまいました。
      私たちは、異なれどきっと「母と別れた」という共通の体験があるから、「少し似ている」のかもしれません。別れたという経験を通していろんなことを考え、選択し、生きてきた。しーちゃんさんの言うように良くも悪くも母という存在は、在不在を問わず私たちにつきまとってくるのでしょう。時に自分の中に母の影をみて、複雑な思いを抱くこともあるかもしれません。だからこそ、「私と母は別の人間だ」と強く思うことが大事なのかもと思います。母のようにありたい、でも、私は私だ、と。しーちゃんさんが、私の記事を読んでいろんなことを感じてくださったの、とても嬉しいです。またゆっくり、お話しましょう。またお会いできる日と、しーちゃんさんの次の記事を楽しみにしています。

  2. ゆうりゆうり

    こんばんは!コメント失礼致します。
    わたしは、祖母のお葬式に参列しました。
    悲しい寂しい祖母のところに行きたいとしか考えられず、費用面は叔父が全てやってくれたので、全く触れていません。
    お葬式を、黒字に。
    それには、色々な人と交流することと、慕われることが大切ですね、きっと。
    後者は、意図的に出来るものではないので、前者が大切ですね。
    わたしは、人との繋がりを、いきなりバッサリ切ってしまいます。長所でもあり、短所でもあり、悩みの種でもあります。
    でもお母様は、人との繋がりを丁寧に大切にしていらしたのですね。それはなかなか、容易に出来ることではありません。
    ステキなお母様を目標にされている、そして、ステキなお母様の遺伝を受け継がれていらっしゃる…そんなしえさんなので、お葬式を黒字、というのも現実化するかもしれませんね。お葬式を黒字にするなら自死はいけない、というのもハッとしました。そっか…そうですよね、頑張ります…!そしてわたしもお葬式黒字を目標に、人との繋がりをもっと丁寧にしていきたい、とワクワクしました。
    お母様とのお別れ、辛かったことだろうとお察しします。
    言語化が下手で申し訳ありません。
    斬新な考えで、わたしはしえさんの記事、好きです!

    • しえさんしえさん

      ゆうりさんへ
      コメントありがとうございます。ゆうりさんからいただけて嬉しかったです。
      そうですね、お葬式を黒字にするにはその2つも大切なことだと思います。でも慕われることは望んでも難しいこと(あと、あまり慕われることは望んでない自分もいます)なので、色んな人交流し、そのできた縁を大切にすることが大切だと思います。私も、比較的人との繋がりをばっさり断ち切ってしまうタイプでした。住む環境が変わるたびにばっさりいっていました。でも、母のお葬式を経験して、人との縁を大切にする、そのすごさを目の当たりにしてから、自分の人間関係を大切にしようと思いました。ゆうりさんにコメントでいただいてハッとしたのですが、もしかしたら私は「お葬式を黒字にするなら自死はいけない」ひいては、「自死は選ばないで…」ということを強く訴えたかったのかもしれません。自分で書いておきながら、誰かのコメントに気づかされるなんて不思議な感じです。またワクワクしましたと言ってもらえて嬉しかったです。そうなんです、お葬式を黒字にしよう、人との縁を大切にしよう、そう思うことはワクワクすることなんだ。私はワクワクしてるんだというのが伝わった気がしました。素敵なコメントをありがとうございました!

  3. オートオート

    しえさん。

    遅くなってしまいましたが、コメントさせてください。

    黒字という指標がしえさんの悲しみを受け止めさせたこと、わかる気がします。
    人の想いは不可視で漠然としか測れないけど、御香典は目に見える具体的な証だから。
    自分がいつどんなふうに死ぬのか、お葬式に出されるかどうか、それはわからない。
    けどお母さまの葬儀を経験されて、しえさんは今を生きる最強の呪文を手に入れました。
    「お葬式を黒字に(できるような生き方を)したい」
    どんな終わり方にしたいか。そのためにどんな生き方をしようか。
    しえさんのこれからの生き方、楽しみにしてます。って赤の他人が、すみません。

    秋桜が美しいです。

    アッバス・キアロスタミの『桜桃の味』を淡く思い出しました。
    またどこかでお話しできたら、うれしいです。それでは、また。

    • しえさんしえさん

      ▷▶︎オートさん
      お返事が遅くなってしまってごめんなさい。
      「しえさんのこれからの生き方、楽しみにしてます。」
      その言葉、とても嬉しかったです。
      なんとなく、人に楽しんでもらえる生き方をしてみたいと思っていたので、
      しえさんの生き方を見てるの楽しいなって思ってもらえたら嬉しいです。
      私もまた、オートさんとゆっくりお話ができたら嬉しいです。おはなししましょう。