米津玄師にも叶わない夢はある

住人

小説家をしている。
と言っても、それによって生活しているわけではない。恥を承知の上、惜しげもなく言うと「25年の小説家人生の中で、原稿料を1円たりとも稼いでない!」。そんなことを大声で言えるなんて、恥ずかしい。言葉と文字で収入を得てみたいという願望がある。それも恥ずかしいンだけど。自分の地力を認知しているし、才能もないってことを思い知っているから。それでも書き続けるのはなぜ?

書きたいから。

シンプルにそれだけ。時折無性にフライドポテトが食べたくなるのと同じ。好きな人に触れたいと思うのと変わらない。ぐっすり眠りたいという欲求とも同様。登山家は山があるから山に登るのであれば、私は私の中に言葉があるから、小説を書く。これは幸せなことだし、ラッキーだったとも。やりたいことってなかなか見つけられないし、探し出せても続けられるかは、また別の問題でしょう?
≪お前には夢はあるか。≫
そんな脅迫のような質問にも怯えることなく堂々と「ありますよ、それくらい」と言い放てる強さを持っている自分を肯定したい。花は咲かずとも、小説を書き続けているその事実こそが、唯一の残された才能だと信じて。

私には≪続ける≫という才能があるかも?!

それこそ最強だと思うんだけど、まだ陽の目を浴びないのは、どうしてなのかなあ。このまま終わるのも嫌だ。ましてや死んでから評価されるなんて嫌だ。かと言ってですね、世間に迎合する気はまったくないンですよ。したところで米津玄師みたいな芸術家にはなれないって、MAJIで理解してる。バカな私だけれど、そこまでマヌケじゃないヨ。
さて、ここからが問題。
「映画は観る人がいて初めて完成する」という言葉を、最近SNSで拾った。小説という芸術だって、読む人があってこそのものなのかもしれない。それはビリビリとした電気ショックのように、身に染みている。でも読者の方に寄せて書く気はさらさらないンです。

それは逃げているということなのか?!

金を稼ぐこと、つまりプロを志しているなら間違いなく≪逃げ≫。ひとり、別室でアダルトな動画でも見てろって話。
質の悪いことに私はプロを目指していない。先述した通り、お金をもらいたいとは思わないこともないけれど、誰かのために書くくらいなら、自分のためだけに、無償で書いていた方がFREEDOMだし、私らしくいられる。
実際の話、小説家として食べている人なんて日本で5本の指があれば足りてしまう。そこに殴りこんでいかないのは、覇気がなさすぎるのかなあ?! そこを目指していないのは弱腰で、人として情けないのかしら?!
恥ずかしながら、いつもそこで自問自答。

≪自分のために書けばいいじゃん!
vs
読者に媚びを売ってでも書きまくれ!≫

この泥仕合は延々と続くのですヨ。きっと死ぬまでそれは終わらずに、戦い続けることになるンだって覚悟はした。みっともなくても、どんなに凡戦でも、続けるって決めた。
それはいつからだったか忘れたヨ。でも結構最近までギラギラした≪小説家になる!≫っていう想いを持っていたな。もうそれだけで小説家になっているじゃん、バカだったよね。少なくとも今は以前のような滾る想いは持っていましぇん。それを≪負け≫という人もいることはいた。「残念だ」なんてあからさまにため息を漏らした人もいる。でもさ、

貴様のために書いてンじゃねえヨ……。

これは私の人生だし、私が主人公だから好きなようにやらせてもらうサ。小説も生きることそのものも、そうだ。
そうそう、続けられるかは、別の問題。まだ人生半分しか生きてない。交通事故とか感染症で死ななければ、あと40~50年は生きられるんじゃないかって楽観的に考えていて。でも、なんか死ぬまで書くって覚悟したはいいけれど、案外、まだまだ終着駅は遥か先。そもそも、たどり着きたくもなかったり。それも含めて続けられるかはシビアな問題。
だがしかし、≪書きたい≫という気持ちと、いつまでも。妻でも娘とでもなく、そんな想いとずっと手を繋いでいたいヨ。
ただ、それだけを抱き締めて、死んでゆけたら、この上なく幸せだと。これからは≪生涯小説家≫してゆく。再び、今、決心したヨ。‎

中川 よしの

生涯作家を志すおじさんです。 なにゆえに書くのか、自分でもわかりません。 これから≪おどりば»で自問自答してゆきます。 45歳、長野cityにて妻、娘、ねこ...

プロフィール

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