本音は探せば探すほど潜っていってしまう

住人

本音って、すぐにわかりますか?

私、自分の感情とか、考え方とか、ひいては自分自身についてだいたいみんな疑ってかかるバカみたいな性質があって、だから、本音とか、よくわかりません。…ということに、最近気が付いてしまいました。

実はこの投稿、本当は、もっと他の内容にしようと思っていたんです。
でも、なんだかどうしてもしっくりこなくて、書き直しています。

少し前、ずっとずっと根深い悩みだったことを友人に話してみました。話してからというもの、その人たちを以前よりもっと近い存在に感じたし、今まで以上に彼らの優しさにも触れました。自分の中の、孤独感みたいなものも、随分と払拭されたように思います。

でも、一方で、自分自身の本音が本当にこれなんだろうか、と疑問も抱くようになりました。おかしな話です。

もとの記事がしっくりこなかったのも、自分で書いていて「私の本音、これ?」って、違和感を覚えてしまったから。

ずっと話せなかった悩みごとを打ち明けて、何人かの人が真剣に聞いてくれて、とても嬉しかったんです。すっきりしたし、救われた部分も、確かにある。でも、私、なぜか…なぜか、どこかで引っ掛かりも感じていて、このモヤモヤはなんだろう、って、考えていました。それを無視して、もともとは「話を聞いてもらって救われた」話を書こうとしていたんです。だけど、やっぱりどうにもしっくりこなくてモヤモヤして…。しばらく考え続けて、私の中にあるもっとも素直な気持ちは、「私の本音、これなのかな?」という、自分自身に向けられた猜疑心だと、気が付きました。

私の辛かった経験は、一種、恋愛とか仕事とか、そういった類ではない、(この言い方が適切かわからないけれど)ちょっと珍しい経験だと思うんです。だから、余計に同情を集めやすい話だし、私自身、認めたくはないけれど自分で自分を「かわいそう」と思っている部分は少なからずあると思うんです。そういったことは、なるべくしたくないなあ、しないようにしようと思っていたけれど、人に話をしていると、どうしても感情が溢れてしまって、この前なんか、大泣きしてしまったんですよ、私。人前でこれでもかというくらいに。

そのことに関して、「すっきりした」と感じている自分と、「自分自身を蔑んでいる」自分がいて、蔑んでいる自分は、「本当にそんなに苦しいの?本当は、みんなに優しくしてほしくてちょっと大げさに話したんじゃない?」なんて、憎たらしいことを言ってくる。

どこからどこまでが「自分」かわからないように、どこからどこまでが「本音」かも、いつの間にかよくわかりません。それは、長いこと演劇をやってきた弊害なのか、悩んでも人前では笑ってごまかしてきてしまったからなのか、そんなものは関係なくて、自分の自信のなさから来るものなのか、そのあたりもよくわかりません。でも、どんなに感情的になっていても、私の中にはいつも、自分を客観的に、俯瞰的にみている自分がいて、「悲劇のヒロインごっこじゃない?」とか、「え、そんなに怒る?ひくわ」みたいな自分がいて、どれが本音なのか、いや、本当はどれも本音なのに乖離しているだけなのか、よくわかりません。

私、人を騙しているんでしょうか。自分を騙しているんでしょうか。それとも単に考えすぎなだけでしょうか。

こんな話を投稿していいのかわからないけれど、この場所で恰好をつけても仕方がない、と思って、書いてみました。意見でも、共感でも、何かあったら教えてください。(なんだかヤ〇ー知恵袋の悩み相談みたいになってしまったな…。)

今回は、珍しく「良い文章」を書こうとは1ミリも、(いや、本当は3ミリくらいは思ったけど)あまり思っていない文章です。すいません。今回は全然エネルギーがありません。これが限界です。ちょっと、疲れています。

お読みいただきありがとうございました。
ではでは、また。

しーちゃん

梅雨生まれの晴れ女。好きなものはぶたさんと抹茶。天敵は足の多い虫。趣味は映画鑑賞、演劇、細かい作業。

プロフィール

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  1. ゆうり

    しーちゃんさん!
    いやー文章を紡ぐのも、本音をさらけ出したり見つけ出したりするのも、めちゃくちゃ難しいですよね。
    しかも本音の度合いが高まる程、ドロドローってしていて、向き合うのも嫌になる。で、「えー?それ本音じゃないよ~知らない知らない見てないよ~えへへ~」って隠して奥底の方へ葬ってしまう。(わたしの場合です)
    でもこう…客観的に見ると、しーちゃんさんが感じて来られたこと全て「しーちゃんさん」だし、騙している訳ではないのでは無いかな…?と思います。自分の感情や考えに責任を持つって、想像以上にエネルギーが要ることだと思います。しかも、そういう経験(人がなかなかし得ない経験)を話すって、相当信頼関係が成り立っていないと出来ないことだとわたしは思っています。だから、誰彼構わず話していたら「え?この子は…同情を引きたいだけか…?」と思ってしまいますが、信頼できる子だけに話している、とかであれば、わたしが仮に信頼して話してもらえた立場だとしたら「話してくれてありがとう」って思います。
    うわー解りにくい長文で申し訳ありません。
    やっぱり今月も、しーちゃんさんの文章大好きです!(はぁと)

  2. オートオート

    しーちゃんさん、こんにちは。オートです。

    まず「こんな話を投稿していいのか」と迷われるような話を書いてくれて、読めてよかったと思いました。
    おどりばには、「誰かのためではなく、自分のために書く場」というコンセプトがありますね。
    実際に書き始めてみると、「誰かのため/自分のため」という境界が揺れるのを感じていました。
    誰かに読まれるからにはなんかいい話を、とか、正しく悩んでる話を、という意識が邪魔をしてくるなぁと。
    場の淘汰圧に合わせてしまったら「自分のため」ではなくなりそうで。
    なのでしーちゃんさんが「格好つけてもしかたない」って書かれているのを読んで、なんというか安心しました。

    本音について。
    僕も振り返ると「あれは演じてたのかも」と思うことあります。
    けどそれは、相手にいい思いをさせようとするときに感じがちかもしれません。
    楽しいふりを、一応したり。
    「あのとき本当に楽しかったっけ…いや、合わせてただけじゃん?」とか。
    こう書くと自分て虚しい奴なんじゃないかと感じます。
    一方でしーちゃんさんのように、自分の悲しみや怒りについてはあまり疑わないのかも、と気付かされました。
    苦しんだことについて「本当か?」と考えることが、あまりない。なんででしょうね…

    まとまりのない感想で申し訳ないです。
    おどりばでの記事について、自分の本音について、考えるきっかけになりました。ありがとうございます。
    しーちゃんさんがしーちゃんさんのために書く記事を、これからも読めればいいなと勝手に思っています。
    長文失礼しました!
    しーちゃんさんとまたどこかでお話しできたら、うれしいです。

  3. しえさんしえさん

    「本当にそんなに苦しいの?本当は、みんなに優しくしてほしくてちょっと大げさに話したんじゃない?」
    その一文にドキッとしました。しーちゃんさんの言いたいことがわかる、なんて傲慢かもしれないけど、
    それでもとても伝わるものがびしびしとあって、うまく言語化できない。
    きっと自分の思うこと、言葉、そういうのは本音であって本音ではないのかもしれない。
    本音って本当に存在するの?そんな疑問に気付かせてもらいました。本音ってなんだろうね。

  4. Clara/くらら

    私は他人に可哀想と思われたくないけど、可哀想だねと優しくされたい人はいます。そして少なからず私自身が可哀想だって思う事は何度も感情として在りました。私は他人にどう思われるかを大切にすることを辞めました。それこそ、自分のことも分からんのに、他人様の感情など読めるか!ってな具合いに諦めたのです。しーちゃんはしーちゃんの気持ちを大切にしとりゃいーのじゃと思います。セルフラブが大事。