『上って降りて、踊る』

住人

半年間、おどりばで色んなことを言葉にして綴ってきた。素直に書いたものもあれば、実験しながら書いたものもある。自分で書いたものたちだけど、意外にも好き嫌いがあっておもしろい。書いたことで自分で自分の背中を押してる記事もある。「おどりば読んだよ」って言われる嬉しさは言葉にできない。おどりばを通していろんな人に出会って、違う考えや感じ方に触れて、涙を流しながら共感したり、悔しい気持ちでいっぱいになったり、感情が揺さぶられすぎるから離れてみたり……。(今はちょっと忙しくて離れてる、時期。)

本当は違うことを書きたかったんだけど、そのことについて何度やっても言葉を紡げなかった。だから「おどりば」っていうものに対して、今心に思うことを素直に書いてみようかなと筆を走らせてみた次第。

▷▶︎おどりばについて振り返る。

2019年は「書く/描くこと」に力を注いでみようと思って、あれこれ書く場所を探していた時に「おどりば」が住人を募集していた。すこし迷って、それから勇気を出して応募してみた。大家のひとりであるハタコシさんに会って、いろんなお話をしたけど何を話したのかあんまり覚えてない。でも「おどりばにいるってことは、その階段は上ってる途中なんですかね?降りてるんですかね?」って聞いて、結論として上るのも降りるのも行き着く先は同じなんだという話になったのはすごく覚えてる。あとその日は雨も凄かった。

6月、『涙を抱きしめて、』初めての記事。自分のために書くことを強く意識したら、自分で自分のトラウマを癒すような記事になった。
7月、『お葬式を黒字にしたい』ずっと思っていたことを言葉にした。世に出すのが一番怖かった記事。でも意外にも好意的に受け止めてもらえて、すごく嬉しかった。
8月、『実験映画的思考記事』イベントの準備に忙殺されそうな中で書いた。頭に浮かんだ言葉をそのまま書き綴ってみようという実験をした記事。
9月、『バースデーブルーに花束を』誕生日前に死にたくなってしまうことと向き合った。それまでしていた被り物を外した。
10月、『革命は「熱情」と共に』友人がもたらした影響について書いた。すごく喜んでくれた。そして私の心の支えになってる記事。

私は階段を降りてくる途中のおどりばにいると思っていた。階段を降りて、降りて、降りているんだ。でも、いつのまにか上っているんじゃないかと思った。自分に深く向き合うことは階段を降りるイメージだったけど、向き合い続けることでいつの間にか上っていたのかもしれない。

ちょっと違うな……。
自分に向き合い続けただけじゃなくて、他の住人さんの記事を読んで〈妖怪・コメ残し〉をしていたからかもしれない。自分だけじゃない、自分以外の人の思いに触れ続けたらいつの間にか上り始めてしまったのかも。なんとなく、そんな気がする。

上るとか降りるとか、どっちがいいとかじゃないけど。ただ降りてると思ってたらいつの間にか上ってたってことあるよねって話。きっとまた降り始める時が来ると思う。というかもう、降りてんだか上ってんだかわかんなくなってきたや。

おどりばってなんだろう。私はおどりばできてるのかな。おどりばが何なのか半年経っても未だに掴めずにいる。でも私にとって大きな影響を与えてくれた場所の1つになったのは確かだと思う。

.....

おどりばで踊りたい。
軽やかに、重々しく。
上って、降りて、踊る。
たまに歌ったり、叫んだりしてもいいよね。

.....

ああ、本当はもっと書きたいことがあるんだ。
でも、言葉が追いついてこない。この半年間でもうひとつわかったことは、想いを言葉にすることの難しさ。感情を、想いを、声にならない叫びを言葉にできない歯痒さ。きっとずっとこの歯痒さと向き合っていかなくちゃいけない。言葉にならないことは、言葉にしなくてもいいのかもしれない。でも、言葉にして初めてわかることがたくさんあるってことをおどりばで知った。だから私はこれからももがき苦しみ、そして楽しみながら言葉にしていこうと思う。

これが今私の心の中で思うこと。
今回書けなかったこと、いつか言葉にできたらいいな。

(うめこさんの「全部おどりばにしてやる」って言葉が好きだ。)

しえさん

どこかの映画館にいるような、いないような人。被り物はもういらない。

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