境目で揺れる。
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19歳の頃、スポーツジムでアルバイトをしていた。
ひさしぶりに泳ぎたくなって、アルバイトに応募した。小学生の頃から高校卒業まで、ずっと水泳をしていたから。スタッフはプールつきの施設が無料で使えたのだ。
ジムで出会った人々は、わたしにとって「今まで関わったことのない人種」の集まりだった。みんな明るくて、ノリがいい。見た目もイケていた。ザ・スクールカースト上位層って感じ。
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「陽の世界」は、未知なるカルチャーとの出会いで溢れていた。
だって、Alan Walkar とかEd Sheeranなんて名前すら知らなかった。わたしは当時、銀杏BOYZやら東京事変ばかり聴いていたから。終業後の筋トレタイムや、バイト帰りの車の中では、よく洋楽が流れていた。
リアリティの伴ったエゲツない下ネタだって、初めてだった。友だち同士でそんな話はまずしなかったし、しても「ボンテージ姿の高橋一生が夢に出てきて、ちょっと好きになっちゃった」程度だった。ゼロ・リアリティ。
EMODAやANAPなんてブランドを知ったのもその時。JELLYやGLITTERは読んだことがなかったけど、紙面の女の子も洋服も、すごくかわいいと思った。男性スタッフはやたらと脱ぎたがった。閉館後のサウナ掃除はマッスルパーティーだった。深夜のすき家で、なにやら複雑な恋愛の相談に乗ったりもした。
彼らはいつも騒がしくて、でも、眩しいくらいに真っ直ぐで。そんな空気を吸い続けていたら、わたしの心にギャルが生まれた。
落ち込むことがあっても、「何落ち込んでんだよ!おら!かっぱ寿司でサーモン食べようぜ!」と、心の中のギャルが言う。しかも普通に元気でる。
驚きの変化だった。
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同じ国に生まれて、同じような歳なのに、わたしの知らないことをたくさん知っていて、わたしの知ってることを全然知らない人がいる。好きなものや考え方も、もちろんまったく違う。
人と人の間に生まれるこのギャップを、わたしは勝手に「世界線」と呼んでいる。俗に言う、パラレルワールド。足をつけている地面は同じでも、人それぞれ違う空気を纏っている。そして、同じ空気に満たされた世界に住む仲間たちが確かにいる。みたいな。伝わるだろうか、この感じ。
どんな音楽を聴いてきた?
どんな漫画を読んできた?
どんな服をいいなと思う?
どんな車がほしい?
どんな場所で働く?
どんなところに住みたい?
どんな話で笑う?
どんな時に腹がたつ?
どんな人を好きになる?
とかとか。
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わたしが思うに、「人が集まってできた世界線」っていうのは強力なものだ。「〇〇系〇〇」ってやつ。ジャンル分けが生まれるのは、集団が持つ強さゆえじゃないだろうか。
でも、「個人の世界線」はすごく曖昧だと思う。
誰かに、何かに、影響を受けて、ぐねぐねと形を変えながら、「人が集まってできた世界線」を渡り歩いていく。さながら、旅人。
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もといた世界線の人間に遠慮して、踏みとどまることが「善」なのだろうか。
「なんか、変わったね」って言われると、なんだか寂しい気持ちになる。
たくさんの世界線に足を踏み入れて、寄り道したり、迷子になったり。それでも時には、もといた世界線を恋しいと思ったり。
そうやってまた大きくなっていくっていうのも、別にいいよね。アリだよね。
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