〇と×

住人





みなさんは、世の中の〇と×、
どっちのほうが多いとおもいますか?

いきなりですけども。


そもそも〇と×ってなんだって話なんですけど、
まるとばつです。(怒らないで)

わたしは〇のほうが多いとおもいます。
というよりはずっとそう信じて生きてきました。
もちろん今も現在進行形でばりばりにそう信じています。

でもときどき自信がなくなるときもあります。

信じてるのに、ばつばっかりが見えて、
どうしてこうなんだろう
なにかできないのか、
なんで自分はこんなに無力なんだろう。って
なります。


〇と×
なんだとおもいますか?
正直明確にこれっていうのはないです。
みなさんのなかのまるとばつを固めたくないので
あんまり例を出すのはしたくないのだけど、
話にならないので書いていきますね。

一番近い言葉にすると、
善と悪
になるのかな、とおもいます。
近い言葉というよりは、善と悪は〇と×のうちの一つだとおもいます。
世の中の善と悪のバランス
シーソーはどっちに傾いているとおもいますか?




数週間前、「〇しかない世界を作りたいな」と考えているとき(さらっと意味わかんないこと言ってるけどここは一旦スルーします)、
どんな形がいいかなとおもっていて、
なんとなく自分の中のイメージと近い形を、すでに作った人たちについての記事を読みました。
すごくすごく有名なものだけど、そこには×がたっくさんあります。
ここでいうばつは、
・人を傷つけること
・だれかが嫌だとおもうこと
・うそ
・自分のことしか考えていないこと
などなどです。
全部似ているかおんなじに見えますが、そこは本当に×であふれています。そして、毎日毎日毎日毎日、たくさんの人が傷ついています。
わたしは、そのばつのないバージョンを作りたいとおもいました。

じゃあどうしてそれがいまも成り立っているのか、その記事の中で彼らが言っていたのが
『世界の善の割合が悪よりも多いからだ』
でした。
もし悪のほうが多ければとっくに崩壊しているが、いまもまだこの世界は続いている。それは世界に悪よりも多くの善が存在しているからだ。と。

たしかに!!!!となりました(単純)
もし悪のほうが多かったら、
たくさんの人が傷ついて、たくさんの人が苦しんで
たくさんの人がつらい想いをして終わってしまう。
それがそのまま終わらないのはそのほかのたくさんの善がその人を助けているから、世の中は回っているんだと。

もちろん、
それだけでうまくいかないこともあります。
むしろそのほうが多いのかもしれない。
『悪いことがあったら次はいいことがある』
とか
『どんなことがあったっていつかは笑える』
とかいうけれど、
そんなきれいごとで片づけられるか!!!!!!
ってときもたくさんありますよね。
だからわたしたちは毎日悩んで、たくさん考えて苦しんで、それでも生きているのは周りに、
あるいは自分の中に
もしかしたらみえないどこかに、たくさんの〇があるから、そう信じているからではないかとおもいました。

それを作った彼らも、世界が悪であふれていることは知っていたとおもいます。
だけど彼らは絶対に悪よりも善が多いと強く信じていました。
だから生み出すことができて、今も運営を続けているんだとおもいます。

なるほど、となったところで、
じゃあわたしは〇しかない世界を作る必要はあるのかな、とおもいました。
作りたいし、いつかは作るから考え続けるけど、
不正解があるから正解があるように、×があるから〇があるのかな、
〇しかないものって、もしかしてみんなは求めてないのかな、
でもまるしかなくなったらいいな、とおもうので、
〇しかない世界を作るために、考え続けていきたいなとおもいます。




しかし、
さっきも言ったように、
世界がばつにあふれていて、絶望することもある。



その前に一つ。

たくさんかいた後なんだかちがうとおもって
何かわからなかったのですが、
あ、ことばづかいだな。とおもったんです。
自分の中で自分と話すときに敬語は使わないから、
じゃあなんで敬語で話し始めたのか、考えたら
みんなに伝えたい!!!!
っていうところと、
自分の中で考えているもやもやしている部分の差なのかなとおもって、
揃えないとおかしい、、、文章が変だうまくできない、、、、、
となっていたのだけど、
ここはそんなこと気にするところではなかった。!
なんでもいいんだった。となったので、
ここからは変わるけれど悪しからず。



そう、絶望することがある。

どっちのほうが多いんだろう?
昔から、こんなせかいはきらいだ、と
おもうことが多かったけれど、
自分はしあわせだな。
とおもえることもたくさん起こる。
いつでもその波にしてやられて生きているな、
とおもう。
きっとそれでも〇がたくさんあると、
ずっと信じてきたんだ。


最近、ホームレスの方たちについて、
考えることが すごく多い。
というのも、わたしはいまイギリスのロンドンにいるのだけど、
ロンドンにはホームレスの方がたっくさんいる。
本当にたくさん。
ほとんどの駅、ほとんどの橋の下にいる。

日本にももちろんいるのだけど、
地元の長野では見かける機会が少なく、
わたしは東京に行ったときに見かけることが多かった。


ホームレスの方を見たとき、わたしは
人間の「違い」のようなものを感じて悲しくなることが多い。
ひどい、とおもったかな。
同じ人間なんだって。
わたしもそうおもう。
同じ人間で、生まれてきて、これまで生きてきた。
わたしがいま安全と健康に守られた生活をできているのはなんでなのか、彼らにそれがないのはなんでなのか、何が違ったのか、
考えてしまう。
正直、ちゃんと知っていて知識があるわけではないので、自分の意見を言うのが少し怖いし、デリケートな問題だとおもうから言葉を選ぶのが難しいけれど、
下に見ているとか、他人事とかそういう意味は全くなくて
『かわいそうだな、』と思う人も多いのではないかなとおもう。


自分はなにができるんだろう。

実際に自分の目の前に、
確実に困っている人がいる状態なのに、
何もできない。何が正解なのかわからない。
自分の持っている、自分が困ることのないだけのお金をその人に渡したとして、
その人は本当に助かるのか。
もしこの人が何か助かったとして、その隣の人は?
本当にこの人のためになるのかな、


そんなことを考えている間に
当たり前だけどあっという間にその場を通り過ぎてしまう。


ああまたなにもできなかった。
ぽっけの中にお金があるのに。
自分はひどいやつだな、

毎回それの繰り返しだった。


ロンドンにたくさんのホームレスの方達がいるのともう一つ、
わたしがそのことについてたくさん考える理由の一つだとおもうことがある。

ロンドンにいる人たちは、結構コインを渡すことが多い。
それがいくらなのか、まだちゃんとコインの種類を覚えていないので見ていてもわからないけれど、
金額に関係なく、コインを持っていたら入れる人が多い。
というのは、わたしが東京でそうしている人を今まで見たことがないだけなので、正直本当にどちらのほうがそうする人が多いのかはわからない。
だけどそれでもそう思うくらいには、たぶんたくさんいる。

それを見てわたしは、
コインを渡した人と自分の「違い」は何なんだろう、、
というループにまた陥るのだった。


だけど、わたしが絶望したのは、自分に対してじゃなかった。

これは個人的には珍しいことで、
それもあってそのときものすごいインパクトをわたしに与えた。
それはまあ、あまり関係ないけれど、




ホームレスの方が、タバコを吸っているのを見た。






って、なった。

どうしてそんなもの持っているんだろう
どこで買ったの?

誰のお金で、?

それ、あなたに必要?
今一番?
だれかがくれた、おかねで、
かうものなの、
なきゃ死ぬの
そのお金でシャワー浴びて体きれいにして、
何とか仕事見つけようと、がんばるのとか、



でもそんなの、
じぶんの中のことでしかないか、



正直納得できなかった。
すごく失礼なことを言っているとおもう。
もっと違うこと、一生懸命、
もっとできること、あるって
でもわたしはあの人のことを知っているわけではないし、
話したことがあるわけでももちろんない。

わたしがあの人に言えることなんて何もない。
そもそもわたしのお金でもないし、

だけどわたしは絶望してしまった。
絶望ってどういう意味なんだろう。そんなにひどくしたわけではもしかしたらないのかもしれないけれど、
何が正しいのか
本当にわからなくなってしまったのだった。


友達にこの話をしたとき、笑われてしまった。
みんなもっと図太いんだよ。そんなに優しくないよって。

だけどわたしはそうおもえないし、
おもっているふりもできないから
納得できない顔で、そうかなあと言うことしかできなかった。


勝手な話だ。
自分がいるこの世界を、どうにか信じていたいだけだ。
だから期待してないようで期待して、
勝手に絶望なんかして
なんやかんや考えやがってその人にとっても
迷惑な話だろう。
わたしはそのひとのことを本当に何も知らないのだから。





もしかして全然違うことなのかもしれないけれど、
お金の話が出てきたので無理やりこの話を出してみる。

最近、お金持ち(という言い方でいいのかわからないけれど、)の人が自分の意志で自分のお金を当選式でプレゼントする企画をいくつか目にした。
なんだかいろんな意味で話題になりそうだなあと思っていたけれど、案の定たくさんの人が様々な形で反応して、自然と目に入ってくるくらいに大きく膨らんでいた。

企画者の人格から否定する人、企画を利用して何か悪いことをしようとしている人、自分のやりたいことやそのお金が必要な理由を伝えようとしている人、
さらにそういったそれぞれの人たちにそれぞれの人が反応して、毎日いやな気持ちになったり、悲しくなったり、知らなかった新しい病気を知ったりした。

この企画自体がまるなのかばつなのか、正直それはわたしにはわかり得ないというか考えきれないので、それについて言及することはしないのだけど、
自分も含め、こんなにもたくさんの人の話題になって、こんなにもたくさんの人たちの意見が目に見える形で現れること自体が日常的に起こることではないし、お金の行方以前に形として何十万人何百万人の目に留まり、信じられないような数の人たちがこのことについて少しでも考えたこと自体、ものすごいことだな、と思う。
たったひとりの人の行動なのだからなおさらだ。
こんな数の人たちに一度に影響を与えるなんて、ものすごいことだ。
どんなに近くにいたって難しいことだから、きっとそう思うんだろうとおもう。


だったら何が気になったのか、という話なのだけど、
この企画を批判しているひとと企画者を擁護する人の間でなんどもなんどもおなじ議題を見た。
『そんな金があるなら寄付しろよ』『世界にはもっと困っている人がいるんだぞ』『金の無駄遣いにもほどがある』
という意見と、それに反論する意見だ。

すごいはなしだ。
普段は他人のお金の使い方になんて、そうとう距離が近くなかったら誰も口を出さないだろう。
それがなんの関係もない人どうしで言い争いになっているのだから
すこし、というかだいぶこわいような、
どこか遠くの話のように感じた。

確かに、正直、『これがやりたい』『こんな病気になって困っている、お金がかかる』と言っている人たちの、だれが本気でだれがそうでないのか、
だれがほんとのことを言っていて、
だれがうそをついているのか、なんて
わかる方法がないし、全部信じたとして、その中から数人を選ぶなんて自分には絶対にできなことだろうな、とおもった。


だけど、だ。


『そんな金あるなら寄付しろよ』
わたしはこれにだけは本当に、
どうやったって賛成できないというか、
どうどの角度から見ても、もっともあさはかで何も考えていない人の意見だろうな、とおもった。
もしかしてもしかしてもしかしたら、
純粋に、だれかなにか悪いことをたくらんでいる人に当たるより、
困っている人に確実に届く寄付を選んでほしい、という意見なのかもしれない。
でもわたしにはそうは見えなかった
ああこのひとはあの人(企画者)のことが嫌いなんだろうなあ
とおもうだけだった。

もしそうだとしても、
あなたの言っている『そんな金』って、だれのどんなお金のことを言っているのか?
世界のお金に困っている人たちのこと、どのくらい調べたのか
わたしが数十秒調べただけで、その企画者たちがすでに多額の寄付を行っていることはすぐにわかった。
どこに?どのくらい?
そんなん足りるわけないじゃん。
まだあるならそれも寄付すればって言ってんだけど
って、いわれそうだなあというのが容易に想像がつくけれど


じゃあじぶんは?
今月自分が会社で稼いだであろうお給料のうち、いくら世界のお金に困っている人たちに寄付したのか?
まさか一円もしていないなんて言わせない。
飲み会になんてずっと行ってないんだろうな
きのう食べたかったコンビニのアメリカンドッグもがまんして、
テレビで見かけた気になってるおしゃれな服も
大好きなバンドのライブに行くのもずっとずっとがまんしてるんだろう。

違うなんて言わせない。
あなたがきのう食べたカップラーメンのお金と、
彼らが自分の意志で配布するお金のどこに違いがあるのか。
お金はそんなに簡単じゃない。
わたしたちが寄付した一円で、きっと世界は変わらない。
世界はそんなに簡単じゃない。

だけどそれをやったとき、
自分の中で何かがきっと起こるんだ。
世界がちっとも変わらなくても、自分の中の何かがきっと
少しだけ変わるんだ。
それを得た人がきっと世界を変えていく。
夢みたいなきれいごとだと思うだろうか。
そうかもしれない。
だけど何もしなかったら何も変わらなかった何かを、
変えようとしている人がいて、
だから人のお金の使い方に文句を言うなんて人も出てきて、
正直いい意味でおもうつぼだとおもう。


はなしがぶれぶれになってしまったけれど、
ひとに寄付しろなんて言う人は、どれだけお金を持ったって寄付なんかしないんだとおもう。きっと今まで通り、自分のために使うんだとおもう。
それが悪いって言いたいんじゃなくて、
人に向かって言う言葉じゃない、それを考えないとわからなくてしかも考えないまま口に(文字に)していることがどういうことなのか、
と、いうところだった。




気づいた人がほとんどだろう、とおもうのだけど
大きな矛盾が生まれている。
わたしはさっきまで、タバコを買ったホームレスのひとのお金の使い方について文句を言っていた立場にある。
絶望、なんて言葉まで使って。
それが数分経てばどうだ
今度はお金持ちに寄付を要求した、つまり
お金持ちのお金の使い方に文句を言った人に文句を言っているのだ。

なんと言ったらいいのかわからないのだけど
情けない。
一貫性のなさに自分で絶望しそうだ。
だけど、ひとり、自分の中だけでこんなにも矛盾するのだから、
ほんとうに考えても考えても尽きない、
ひとことだけでは表しきれないけれど、
むずかしいな、とおもう。


せかいは難しいことであふれている。
もちろんそれだけではないけれど、
〇なのか×なのか、わからないことだらけで、
反対のはずなのに、気づいたらとなりにあったり
反対のはずなのに、いつのまにか同じになってたりする。


わたしがロンドンでバッグを盗まれたとき、
本当に落ち込んだけれど、
一緒にいた4人の友達がずっと一緒にいて助けてくれた。
店員さんもすぐにカメラの映像を確認してくれたし、警察の人も優しかった。
カードを止める手続きをしてくれた人たちもみんな親切にしてくれたし、
日本の友達が心配してたくさん連絡をくれた。
わたしはそのどれもにすごく助けられたし、どれもがわたしを元気にしてくれた。
バッグを盗んだのは一人だったけど、わたしを助けてくれた人はたくさんいた。

ある日電車に乗っていたら、一人の男の人が歩いてきて、ポケットティッシュと1枚の小さな紙をわたしの隣に置いた。
見ているとそこにいる全員にそうしているみたいだった。
紙には、
『私は左腕に障害を持っていて、動かすことができません。それが原因で仕事をすることができません。私には2歳と4歳になる息子がいます。どうかこのティッシュの代わりにコインをください。』
と、書いてあった。
そのひとは左腕のそでをひじのうえまで腕まくりしていた。
わたしは、悲しくなった。たくさん考えた。
あなたの左腕は見せ物じゃない、とおもった。
あなたは両足でしっかりと歩けていて、ティッシュを配る右手があって、どうして仕事をあきらめてしまうの、とおもった。
あなたの子供たちは同情を売るための商品じゃない、とおもった。
そのひとがいままでどれだけ仕事で大変な思いをしたのかわたしは知らない。
もしかしたらもうこれ以上何もないくらいたくさんの会社を受けてきたのかもしれない。それでもうまくいかなかったのかもしれない。
わたしはきいてみようと思った。
お金を出して、わたしはこれをあげられるけれど、あなたはそれで本当に幸せを感じてくれるのか、どうして仕事をすることをあきらめてしまったのか、なにかできることがあるなら手伝うから仕事を探そうって、
そのひとは反対側からまた歩いてきて、
ティッシュと紙と
ときどきコインを一緒に回収していった。
わたしはなにもできなかった。
きくこともできなくて、
そしてお金をわたすこともまた、できなかった。
男の人はわたしの隣からティッシュと紙をとって、
小さく会釈をして電車を出て行った。

どれだけおせっかいで迷惑なことを考えていたのか
しかも結局聞かなかった渡さなかったことは
それを考えたことをもっともっと無神経なものにしているように感じた。
なにもしらないくせに
しかもなにもできもしないくせに
わたしがお金をわたせなかったのは
持っていたのがコインじゃなくてお札だったからではきっとない。
きいていた音楽も聴こえなくなって、
悲しくて泣きそうになった。
だけどそのあと、
同じ電車の中で、
若い人が席を譲っているところを2回見た。
だからなんだ、ってかんじなのだけど、
そのときのわたしには少し救いだった。






こんなにたくさんかいてもなにもまとめられなかったな、、、
まだなにかを見つけることもできない。
そもそもそんなに簡単な問題ではないから、あたりまえなのだけど、

『自分がやられて嫌なことはひとにするな』という
だれでも一度はきっといわれたことのあるしつけがある。
ずっとおもっていたのだけど、
これのむずかしいところは
自分がやられて嫌なことはひとも嫌がることなのに
「自分がやられてうれしいこと」は「人がやられてうれしいこと」とは言えないところである。
だからときに、
『自分が嬉しいからって誰でもそうとは限らないんだ』なんて言われてしまうこともある。
どっちだよ。ってよくおもっていた。


もしかしたら考えなくてもいいのかもしれない。
そんなこと、わたしが考えることじゃないのかもしれない、
だけど、考えるのをやめたくはないな、
迷惑かもしれない。
正直無神経だとおもってるし、反論される部分がじぶんでも簡単に想像できる。
ひとりよがりのわがままな意見ばかりだとおもう。
結局は全部自分のためなんだな、といつもおもう。




だけどせかいを〇にしたい。
ぜんぶぜんぶ〇にしたい。
〇しかない世界にしたい。
『簡単に他人を信用しちゃいけない』って
たくさんのひとに言われた。
だけど自分にはできない。
信用したいとおもうからしたい。
そんなことだれも求めてないのかもしれない。
じぶんが自分のいるせかいを信じたいだけかもしれない。
自分のためだけなのかもしれない。
だけどあきらめたくない。
この世界をあきらめたくないっておもうから
あきらめたくない。
あきらめられない、
せかい中をぜんぶ〇にして、
ぜんぶのばつがなくなって、
世界中が平和になって、ぜんいんが平和ぼけしたらいい。
ばかみたいって笑うだろうな
わらうかな
なんで無理だっておもうの?
なんであきらめるの
まだぜんぶやってない
まだなにもできてない
きっとせかいには自分の知らないような、
理解できないような、信じたくないような、
最悪の×がたくさんあふれてる。
それを知るのはすこしじゃなくてかなりこわい。
じぶんのちっぽけをたくさん自覚して
たくさん悲しくなってたくさん泣きそうになる。
だけどどれだけ泣いてもいいからあきらめたくない。
たくさん矛盾してる
まだなにもできてない。
でも全部全部できるんだ。
口だけかもしれない。
だけど言いたい
全部やってやりたい
世界中を〇にするんだ。
世界をぜんぶまるの世界にするんだ。


信用したいからする
あきらめたくないからあきらめない
それでいいんだとおもう。
世界をぜんぶまるにしたいからする。
だからこれからもずっと考え続けたい。
おわりがなくても。







ちい

人と話すのが好きです!その人のことを考えるのはもっと好きです。自分の”好き”になりたい、と思っています。

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