かわいいは正義か。

6年ほど昔の話になってしまいましたが、大学生の頃、1年間海外に留学に行っていました。
たいして語学ができるわけではなかったけど、留学に行ったならば日本人と関わりたくない。
できる限りその地に溶け込みたいと思って突っ張ってました。
今思えば、もう少し上手くやれるとよかったのですが、当時は頑張らなくてはという気持ちと、留学に来たのに群れている人達への羨ましいような、近寄りたくないような、もやっとした気持ち抱えて生活をしていました。
慣れない土地でイチから人間関係を作り、勉強も頑張る。
そうゆう生活をする自分は間違っていないと思っていたし、今も間違ってなかったと思います。
ただ、もう少し寛容さと柔軟さを持っていればよかったとも思ってます。
前置きが長くなりましたが、そんな留学生活を過ごして日本に帰った時に感じた違和感がありました。
日本の女の子って、かわいい!
かわいいメイクをして、流行りの服を着て、きらきらしている!
留学先だっておしゃれな人はたくさんいました。
でも、日本の女の子ほど「かわいい」ではないんですよね。
この「かわいい」こそが違和感でした。

「かわいい」がなぜ違和感なのか。
その時の私にとっては、「かわいい」は表面上のもので、見た目しか気にしていないようにしか感じられなかったからです。
そのように感じるのは、私が留学に行ったという、驕りゆえかと反省していましたが、今もかわいさに感じた違和感を忘れられずにいます。
社会人になって、学生時代よりも見た目を気にかけるようになりました。
留学時代のことを忘れかけているというのもありますが、見た目が如何に、他人への影響が強いかを自覚したからです。
それでも、私自身があの時感じていた違和感になっていないかと疑問を持つようにしています。
私もかわいい子や美人、かっこいい人を見るのは好きですし、憧れる。
どんな場所でも、輝いている人も、憧れる。
見た目を気にすることは悪いことではないです。
人は見た目が9割という言葉を聞く通り、見た目によって内面を想像してしまうことはよくあることですし、商品を買う時、パッケージを気にするのと同じように、外見は中身を知ってもらう上で重要なものです。
ただ、外見と中身の良さは切り離して考えたほうがよいし、外見だけを気にして、中身をおざなりにはしたくないと思う気持ちだけは忘れずにいようと感じています。
見た目を気にしたくない気持ちと、気にする自分。
中身と外見のバランス。
ずっと割り切れずにいる自分の中の違和感を拭えずいる自分をまだかっこいい大人にはほど遠いのだと痛感しています。
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