混迷の動く歩道で なにを問う

住人

年度の切り替わりというのは、日本では年の切り替わり以上に意味を持つのではないだろうか。書類の日付の頭の数字が変わる。進学や就職・転職で環境が変わる。生活への変化を大きくもたらすのが、この4月1日だ。特にオリンピックイヤーでもある2020年のこの日は、さぞ晴れやかな幕開けとなると想像していた。さて、こんなにも気怠げで光の見えない年度初めは、生きてきて一度でもあっただろうか。

 

これほどまでに「混迷」と呼ぶにふさわしい状況は経験したことがない。確実に迫りくる脅威の正体は決してこの眼に映ることもなければ、この危険を物理的に回避しようものなら日々の生活が困窮していく。三密の議場で交わされる議論に寄辺を求めようとも、一向に道が切り拓かれる気配はない。自粛と自己責任の狭間で1億もの人々の心理が揺れ動くこの間も、さらなる混迷行きの動く歩道は、ゆっくりと前へ私たちを送還していく。

 

ああ、気づけばやたらと堅苦しい言葉を並べてしまった。肩がいつもより高くなるように、強張った表情と姿勢でキーボードを叩いている。昨年にも身近な場所で災害が発生して緊迫した状況を過ごしたが、またそれとは異なる、個人的にはそれ以上の恐ろしさを感じている。僕たちが対峙している状況はどこまでするのだろうか。いつまで続くのだろうか。「見えない」「前例がない」というのは、これほどまでに身を震わせるものなのだな。

 

月に1度の問いの空間に身を置いてみて、いま強く感じていることがあります。

なにを問うか。どう問うか。いま、一人ひとりに強く求められていると思います。難しいことはわからないけれど、なにかの”巡り”のなかで、そういった時期に世の中が入っているのかもしれません。今回の件に限らず、様々な事象や自身の心情をどのように捉えるか。能動的にそれらを問う力がいかほどか、これからの不確実で不安定な社会を生きていくために、まさに問われているように感じます。

 

大切なものはなにか。守りたいものはなにか。

どう暮らしたいか。どう暮らしていきたいか。

生きるとはなんだろうか。死とはなんだろうか。

国とはなにか。政治とはなにか。信条はなにか。

誰を信じるか。なにを信じるか。

 

あなたはいま、なにを問いますか。

 

ハタコシ

おどりばの大家です。深層の想いをともに捜しに。

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