なおらない

住人


突然ですがみなさん、
「なおる」という言葉の意味を知っていますか?
おそらくほとんどの方が、
『知ってるわ!なめてんのか!』と思われるのではとおもうのですが、すみません。
「なおる」という言葉を広辞苑(ネット版)で検索してみたのですが、

①もとのように正しくなる。望ましい状態にもどる。
②境遇・地位・身分などが、もと通りになる。改まってもとのようになる。
③改まって正しくなる。つくろい改められる。
④故障が除かれ、正しく機能する。
⑤(「治る」とも書く)病気や怪我がよくなる。
⑥正しくすわる。また、しかるべき位置に着座する。
⑦もとの姿勢にもどる。
⑧配流などの拘束がとけて、許される。
⑨仮の地位から正式の地位につく。
⑩乗物・劇場などで上級の席に移る。
⑪(斎宮の忌詞)死ぬ。

とありました。
すみません多いですよね。正直いまは省いてもよいものもあるのですが、なんとなく不公平感があったので例文以外のところ、言葉の意味を表す部分をぜんぶ書きだしました。読む時間を無駄にとってしまったらすみません。

なんだか難しくてよくわからないところもありますが、かなりおおざっぱに広くまとめると、「なにかあんまりよくない感じのものが、改められて正しく望ましいしかるべきもとのようにもどること」ということのようです。(まとめられてない)

ちなみに「なおる」というと
「直る」と「治る」
二つの漢字が思いついたのですが、どうやら意味に違いはなく
「直る」の一部の意味で「治る」をつかっているようですね。これは意外でした。意味に違いがあるのかとおもった。


なにが気になったのかというと、「なおる」という言葉の意味の、「もとにもどる」という部分。
病気がなおる、っていいますけど、
病気がなおって「もとにもどる」こと、ってありますか?


わたしがかかった病気といえば
忘れもしない高3の12月31日、盲腸にかかったことくらいです。
ことくらいです、なんて言えるのはいまがいまだからで、そのときはそれはそれはおなかが痛くて大変だったのですけれど、今はおなかが痛くないので正直忘れてしまいました。
この話をするとどうしても長くなってしまうので、いつかお会いしたときにでも聞いてください。
それはそれは面白くて、この話の打率は10割です。今までこの話を聞いた全員を、それはそれはドッカンドッカン笑わせてまいりました。
ですので気になった方はもしお会いする機会があったら聞いてくださいね。くれぐれもコメント欄で質問しないようにお願いします。それはそれは面白い話なのですが。

手術をした後のわたしは盲腸になる前のわたしとは違います。
盲腸はすごくわかりやすい例なのですが、わたしはもう盲腸と呼ばれる臓器をからだの中に持っていません。盲腸=虫垂は、人間が生きる上で必要な臓器ではないので、炎症を起こした腐りかけの虫垂はポイしました。

またそうでなくても、なにかの手術をしたときは必ずその傷が残るので、手術をする前のからだとは明らかに違うわけです。
もちろん、医療の技術というのは毎日毎日たくさんの方たちの想像を絶する努力によってめまぐるしい速さで進歩していて、わたしのおなかの傷なんてお父さんが中学生のときにした盲腸の手術の傷と比べたら、3分の1くらいの大きさです。
目立たなさはそれ以上によくなっているとおもいます。
今気になってみてみたのですが、言わなかったら気づかない人もいるかもしれません。

ですが、その傷がそこを切る前のようにまっさらにもどることはありません。
それがとんでもなく嫌で、悲しくて悲しくてという話ではないです。むしろ「ここ切ったんだぜ」って謎に誇らしげに言うタイプです。謎です。
ただ、その傷はもとにはもどらない、ということです。

へりくつやないか。と思った方がいたらすみません。
傷が残らなかったらじゃあもとの通りにもどるのか、というと、それもそうではありません。病気がわたしたちに及ぼす影響は、外見だけに限ったものではないからです。
むしろそれ以外の影響のほうが大きいかもしれません。
身体的な変化は、目にみえる外傷だけではなくからだの中の細胞や血液の中の成分の量などにも関係してくるでしょうし、
病気になった人やその周りの人の心、さらにその周りの人の心など、さまざまなところに影響を及ぼします。

たとえば、わたしが盲腸にならなければ、
当たり前ですがわたしは盲腸の経験を打率100%の特大ホームランに使うことはできませんでしたし、入院中唯一の友だった、あの漫画に出会うことはなかったかもしれません。
また、わたしを担当してくださった医師の先生とも看護師さんたちとも出会うことはなかったし、退院後にお年玉の入った封筒をまとめて束でもらうという経験も一生なかったでしょう。
あんなに痛いことがこの先あるのかもわからないし、あんなに真っ白なじぶんの顔をみるのはおばけになった後かもしれません。


こんっなことは、ほんっとうに、
病気にかかったときにおこることのうち本当に本当に小さなことたちでしかありません。わたしは虫垂のないからだでいまも元気に生きています。
そんなわたしでもいろんなことを経験したり、変化するようなことが病気にはあるということです。


病気はなおりません。
なおるという言葉がもとにもどるという意味ならば
病気がなおることはありません。
小さなものから大きなものまで、
いいことや悪いこと、たっくさんのことを運んできて、去っていきます。
去っていくときに、
炎症を起こした虫垂を持っていくこともあれば
命を持っていってしまうこともあります。

病気自身が大きければ大きいほど、そのひとや周りのひとに与える影響も大きいとおもいます。その影響の大きさのことを、病気の大きさで呼んでいるのかもしれません。


いま世界中をおびやかしている新型コロナウイルスも同じです。
コロナはなおりません。
「はやくもとの毎日にもどるように」
いまそこらじゅうで聞く言葉です。
でももとの毎日がもどってくることはありません。
地球はこれからコロナにかかった後を生きていかなければならないからです。
もちろん人間も同じです。
わたしたちはこれからコロナウイルスが流行した後を生きていかなければなりません。

コロナはたくさんのものを運んできました。
症状による苦しみ、会いたい人たちに会えないもどかしさ、さまざまな業界における大きな大きな損失、テレワークの促進、静まりかえった街、ひとの心をとげとげにする成分、ぶつけようのない怒り、
全部自分のせいなのに、コロナがたくさんのひとになすりつけたせいでそのひとたちは言われのないことで全然知らない人たちからたくさん叩かれました。
そしてまた、たくさんのものを持ち去りました。
学生の勉強する環境、死に物狂いでやってきた努力を発揮する大会、だれかの大切なかけがえのない思い出になるはずだったイベント、ついに叶うはずだった夢、

そして命。
その命の周りにある最後の時間も、
義理のかけらもなく家族からぶんどっていきました。

そしてそれは今も続いています。

全部全部コロナのせいです。
本当に許せることではありません。
だけど相手は目にみえません。
今のところわたしたちは有効な武器を持っていません。

コロナを倒すのは、
かかった人たちを叩く力でしょうか?
違います。
マスクがなくてぶちぎれる怒りでしょうか?
違います。
日本の政治への絶望感でしょうか?
違います。

なにがコロナを倒すのか、わたしたちは知りません。
正解がないからです。
はじめましてと言ったときから、そのひとの弱点を知ることはできません。話して、一緒にいて、やっとわかってくることです。
地球とコロナウィルスがはじめましてをしてから毎日、わたしたちを守るために弱点を探し続けてくれているひとたちがいます。
そのひとたちがわたしたちを守るために、わかったことを共有してくれます。

不要不急の外出を控え、家にいること。
買い物等に出かけても、指定されている距離を守ること。
手洗いうがいを毎日しっかりすること。
熱をはかって、37.5度以上あるときは出かけないこと。

全部できないことではありません。
弱点が全部わかって完璧な武器が出来上がるまで、安心することはできません。だけど、もう何も知らないのとは違います。
今起こっていることは全部、未来に生かさなければなりません。
いまなにかおかしいことに気づいたら、それが生きるのはいまではありません。いまそれに文句を言っても、正直もう遅いです。コロナには間に合いませんでした。
だけどこれからに生かすことはできます。
だから通り過ぎてはいけません。これからのために、それを考えるためにしっかり持っておくのです。

考えなければなりません。
一人一人が、今自分に何ができるのか
考えなければなりません。

たくさんの犠牲を無駄にしてはいけません。当たり前です。
無駄にしないこと以上に、わたしたちは絶対に忘れてはいけません。

不安におもったこと、
おかしいとおもったこと、
悲しかったこと、
気づいたこと、
はじめて知ったこと、
考えたこと、感じたことの全部を持って、
未来にいかなければなりません。


「神は乗り越えられる人にしか試練を与えない」
これも最近よく聞く言葉ですが、正直言ってわたしは好きではありません。
こんなこと、本当に苦しいときに言われたら崩れ落ちそうです。
あくまでわたしは、です。もちろん。
この言葉に励まされている方ももしかしたらたくさんいるかもしれません。
だけどもし家族の命を奪ったウィルスがわたしの試練なんだと言われたら、乗り越えた先にあるものなんて見たいとおもいません。



コロナはなおらない。
病気がなおる薬や、なおす方法なんて存在しません。
どうやってこれと向き合い、共存していくかなんだとおもいます。
みなさんひとりひとりは、みなさんしかいないのです。
かけがえのない一人一人の命です。
この期間中、おそらくたくさんのひとたちが
「時間」と向き合ったとおもいます。
自分が持っている、人生の時間。
仕事がなくなった、隙間の時間。
友達に会えない、ひとりの時間。
子供と過ごす、おうちでの時間。
多くの時間が不安にうもれていて、落ち着いていられる時間ではなかったとおもいます。

だけどみなさんの時間を、他のだれかを傷つける時間に使わないでください。みなさんの大切な人生のいっときを、他のだれかをおとしいれるような時間に使わないでください。
この記事を読んでくださっている方たちの中にそんなことをしている人が少ないことはわかっているうえで言っています。
こみ上げる怒りを、不安を、やるせなさを、
わたしたちは生かさなければなりません。
ずっとずっと忘れないで、もっともっと良くしていくためです。


人は、おもっているよりずっと弱いです。

そんな言葉一つで
そんな簡単に
と、おもう人がいるかもしれません。

でも、
「そんな」
言葉一つで亡くなってしまう人が
「そんな」
簡単に死にたくなる人が
たっくさんいます。

ああいるよねそういう人

とおもった人がいるかもしれません。
だけどあなたは、あなたがおもっているより弱いです。
あなたの大事な人は、あなたより弱いです。
人はみんな、Twitterより弱いです。

「そんなつもりはなかった」
「こんなことになるとはおもわなかった」
なんて嘘です。
その時その瞬間は
ああなってしまえ
こうなればいいんだ
とおもって言ったはずです。


今、じぶんにできること
なんでしょうか?
時間はもどせません。
時間もまた、なおらないのです。
過去のことを後悔しても意味がないのは、
それを生かせなくて何も変えられなかった時だけです。
気づいて、後悔して、変えたいとおもったのなら
不安で、怒りがこみあげてきて、納得いかないのなら
それをぜんぶ持って、この先を生きていきましょう。
この先にぜんぶ、生かしていきましょう。

気づいた時がいつだって最速です。
今には間に合いませんでした。
わたしたちは変えなければいけません。
わたしたちを守るために
なおらないせかいを生きていくために





この記事の中だけではとてもまとめることができませんでしたが、様々な情報があふれている今、わたしたちは常にたくさんのことを考えて生きていかなくてはなりません。考えずに、言葉にすることは、文字にすることは、もう控えたほうがいいとおもいます。
自由に、おもったままに、相手の気持ちを考えず自分の中の意見を言うことが許された時代もあったのかもしれません。だけど、少なくともわたしが生まれてからはもうそんな時代ではないとおもいます。
自分の感じたことを反射的にSNSに書くのはやめてください。
それを書いたことで、それをみた人がどう思うのかどう考えるのかどう感じるのか、考えたうえでその発言に責任を持ってください。
めんどくさいとおもったらSNSはやらないほうがいいです。今すぐやめましょう。
また、SNSをみていつもつらい気持ちになってしまう人、苦しくなってしまう人もまた、やらないほうがいいとおもいます。心無い言葉に、わざわざ苦しめられる必要はありません。なんでそれを言う人のために自分がやめなければならないんだ、とおもうのなら、極力見ないようにしたほうがいいです。考えなしに発せられた心無い言葉に、考えて考えて心を奪われないでください。

説教臭くなってしまって本当にすみません。
すこしでも不快に思った方がいたら本当に本当にごめんなさい。
みなさんの感じたことが、考えたことが、一つも無駄になることがありませんように、心の底から願っています。
偉そうなことを言っていますが、自分が何かできているわけではありません。誰かを守ることができたわけでも、発言に影響力があるわけでも、常にだれかのことを考えられているわけでも全くありません。自分のことで精いっぱいすぎて情けないくらいです。
だけど絶対にあきらめません。
自分にできること、わたしも考え、やり続けていきます。

未来は今までのことが生きた世界のはずです。
希望を捨てないで、おもいやりにあふれた世界を生きられるよう、できることを頑張っていきましょう。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。




ちい

人と話すのが好きです!その人のことを考えるのはもっと好きです。自分の”好き”になりたい、と思っています。

プロフィール

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  1. ゆうりゆうり

    いままで、Twitterが無いと生きていけない、情報を得られるのが遅くなってしまう、好きなことを発信できない、と思っていました。けれど、Twitterをいざやめても、わたしは生きていけるし、思ったことは手書きなりメモ機能なりに残して発散できるし、自分の不用意な発言で人や自分を傷つけるなら、やめて正解だったと思いました。
    言葉は刃です。コロナで強くなった縁、遠退いた縁、新しくできた絆、諸々あると思いますが、いずれはそうなる運命だったんだなとかも思います。
    これからの自分をどう生きるか、これから周りに何を与えていけるか、考えていこうとちいさんの文章で決意しました。あと、盲腸のお話とても聞きたいです(o´・ω・`o)