0から1を編み出すことができるひとたちに、最大限の愛を捧ぐ
偉大な人たちはみな、ゼロから全てを作り上げていく。正確にいえば、もとから積み上げられたものからさらに、派生して自分らしさを表現することで、無二のものとなっていくのかもしれないけれど、それができる人、すごすぎませんか?
今の社会は、その積み重ねによって成り立ってる。
何もかもがなかった世界から、意思疎通が生まれて、喜怒哀楽を表現するためにノンバーバルな動作からことばもうまれて、その先に貧富もうまれてしまったけれど、今の社会体系になるまでに、たくさんの物事が、制度が、きまりがうまれてきた。
そんなこと、できるのは本当にすごい。
なにもない、ゼロから、1を生み出すというパワーとエネルギーは、とんでもないこと。それをやってのける人たちは、本当に、すごい。
すごい、すごい、だらけになってしまったけれど、僕は小さな頃から、他人というものに対して全てのことにコンプレックスを抱いてしまう癖がある。なんでだろう。自分でもよくわからない。よく言えば負けず嫌い。悪く言えば、劣等感しかないかたまり。
何事も、努力をすれば必ず何かしらの結果がでる、と信じて歩んできても、ときにそれはふとした瞬間で崩れ去ったり、その方法が間違っていたりして、すこしお門違いな結果を出してしまったりする、僕の悪いところ。そして、何事もしっかりとがんばり通し続けることによって、見えて得ることが何倍にもできる、僕の良いところ。
その良いところや悪いところは、どんどん研ぎ澄まされていって、自分のできること、できないことへと発展していくわけだけれど、学生から社会人になると、その自分の能力を、社会に還元する役割が出てくる。そのときに、自分色に物事を染めて、うまく共通のコモンズにするために、試行錯誤をする。ときには、だれかが作ったシステムを踏襲して、その上に新たなものを作っていく。ときには、だれも挑戦したことのないことを成し遂げて、ピースを集めてはめて、完成させていく。ないところから、「ある」という状態にするには、確固たるバックグラウンドと、確固たる証拠と、確固たる共通の利益がなければ、なりたたない。
今の社会は、その積み重ねでできている。
日本だけとは言わない、共通の認識で利益をうめるように、利益を共有できるように、よりよい生活ができるやうに、ということで憲法ができたり、様々な法律ができて、決まりができて、さらにそれに則った様々なサービスがうまれて、いまでもそれは試行錯誤で消え生まれを繰り返している。その原動力となっているのは、人、そのもの。
そんな、物事をスタートさせることができる、人の力というものに、改めて感銘を受けているのです。そこに存在するのは、劣等感や悔しさだけじゃなく、リスペクトと尊敬の念が大きい。何故そうなったのか、自分でもよくわからないけれど、きっと多分、素直に凄いものを凄いと受け取れるようになったのだと思う。他人の芝生を比べることを、しなくなったからだと思う。要因は様々あるけれど、もっといろんなことに感謝をしたいなって思ったのは、一つの理由なのかもしれない。
実際僕がいま生み出すことができているのは、このような文章だけなのかもしれない。普段働いている中で発することば、だけなのかもしれない。いや、ぼくという存在が、結局のところいまは何も生み出せていないのかもしれない。
いつか僕も、ゼロからイチをつくりあげられる人になりたい。
いま、ゼロからイチを作り出そうとしている人に、最大限の愛を。
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