なにもない、がある。

住人

空の写真がつづくこの「おどりば」で、空の写真をつい選んでしまいました。

空が見える。雲の動きが見える。星だって見える。そんな環境ってありがたい。

きっとここの住人は長野在住または長野出身者が多いでしょう。

長野県でよく聞く言葉
ここには「何もないからね」。

自分が「長野っていい所だね〜」って言うと、
「何にもないよ〜」と返ってくる。

何にもないって、一見後ろ向きな言葉だけど、
長野ではそうじゃないのかも?とさえ思えてくる。

たくさんの人工物が並んだ街中より、
空が見えて緑が見える、そんな場所が豊かに見える。

なんにもない、がある。

最高じゃん。

とはいえ、生きてくのには困らない衣食住はあるんだから。

いわゆる(家無し)を英語にした人を長野の路上で見たことはない。

みんなどうにか生きている。

幸福度ランキングだって

住みやすい都市ランキングにだって

片手で数えられるくらい上位。

何でも手を加えれば言い訳でもないし、作れば言い訳でもない。

もちろん、開発都市にある最先端なものに刺激を受けるのは、
たまには、いいかもしれないけど。

住めば都。

日常が贅沢。

採れたて野菜に果物に。

美味しい空気に水。

広い土地。

都心ではどれだけお金を積めばよいか分からないほどの豊かさ。

自分は、
都会に対する田舎って言葉についているマイナスイメージに違和感を感じている。

なんかいい言葉ないかな。

地方創生って言って地方。これも音が何だかなぁ。。。

空緑水田畑果実 豊かって字をどこかに入れて、別の言葉ができればいいのに。

そしてそこに生きる人々、特に今から生きてく若い人たちが、
誇りを持って生きていけるような。

カッコイイイメージを。

自給自足してる人たちもカッコイイ。

情報化社会だから、そこに差はほとんど無くなった。

むしろ豊かに暮らせる場所。最強。

でも皆んなが気付いちゃって人口が増えると、結局街になっちゃうんだろうか。

皆んなが良さに気づかずに人口集中しない方が、
気づいた人だけ儲けもん。それでバランス取れてるのかな。

まぁ、好みだしそれぞれの好き好きにね。

メディアだってバラバラのもの見てるから、
価値観も多様化してくる。

この先はきっと、もっと色んな生き方できる。

今も多拠点だとか二拠点だとか、ヨクバリ生活も始まったし。
一方で、この時世で一箇所に止まる必要性も。

世の中不思議なもんですね。

動けないとしたら、心底どんな暮らしがしたいか考える。

家にいる時間が長いとしたら、どんな部屋にするか考える。

そんなこんなで自分は今、置かれてる環境を整えて、
土地も良くて理想の部屋づくりもできて、
心地よい場所に変わることもできて、
有り難さにうなっている。

「自分へのご褒美にどこに行きたいか」

考えてみた。

「あ、家でゆっくり過ごしたい。」

そう思った。

幸せなことだ。

こもれび -komorebi-

こもれび

『こもれび』 木陰でそっと休む。 見上げれば、キラキラした光。 吸い込めば、青々とした緑。 耳をすませば水の音。 そんなひとときを過ごせるように。 自分のた...

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