自分を見つめる

住人

以前役者、役所広司が言っていたのを、思い出す。
「よく自分探しなんて言葉を聞くけど、自分はそこにいるじゃないか!そこにある自分はなんなんだ?」と。

そこに自分が在るのに、なぜ探すのか。

「自分」というのは、自分からは見えない。
自分があたりまえだと思っていることには、それがあたりまえではない「他人」と接しないと、見つけることができない。
違和感として気づくことで、「他人」と違う「自分」に気づく。
「他人」と「自分」の解釈の違いに気づく。
「他人」と違う「自分」に気づく。

それが悪いと言っているわけでも、良いと言っているわけでもない。
個性だとか、特技だとかっていう言葉でもまとめられてしまうけど、比べたり、優劣はつけなくていい。
まぎれもない、たったひとつの「自分」

本を読んだ。

 私たちは「わからないもの」に接することで思考が、促されるのではないでしょうか。
「アート思考」の本質とは、この「わからないもの」に対して、自分なりに粘り強く考え続ける態度のことを指しているのです。
 人工知能がすべての答えを出してくれる時代に必要なのは、それでもわからないものを理解しようとする、人間ならではの飽くなき知的好奇心です。
「わかる」と言う状態にもいろいろあるでしょう。「言葉として理解できた」「経験してはじめてわかった」「答えがいくつもあるということがわかった」「ほとんどのことがわからないということがわかった」など、「わかる」という状態自体が、実に多様なのです。そして、物事には何事にも深い意味や異なった解釈が、幾重にも折り重なっているものです。

「アート思考――ビジネスと芸術で人々の幸福を高める方法」
秋元 雄史 (著)より引用

前にも、後にも、文章はあるのだけど、とにかく「コト」ひとつとっても、「自分」と「他人」では解釈が違っている。
という内容であった。わかりやすいなと思う。

人には「本質」と呼ばれるものがあって、それは他人とはまったく違う自分だけのもので、同じ「本質」を持つ人はいないと聞く。
それは芯であり、軸であり、あらゆる物事に「本質」が反応して自分が動く。
「他人」に同じことが起こったとしても、「他人」と「自分」は「本質」が違うから、同じ反応にはならない。

いつか自分の「本質」に、気づきたいと思っている。
でも自分では気づけない。

難しい。

paseri

山の国に3年在住、しかし海の国の人。おどりばに、おせっかいおばちゃん参上。

プロフィール

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