しごとのはなし

住人

明けましておめでとうございます。01号室にいると、いち早く新年のご挨拶をさせていただくことになります(去年はインフルエンザでお休みしてしまいましたし、今年も慌てて書いてますが)。せっかくなので、2021年の抱負のようなものをつらつらと書いていきたいと思います。特に、仕事の話を。

 

昨年はずうっと仕事をしていたような気がします。コロナの影響で会社の仕事も個人の仕事も忙しくなり、特に6月から8月くらいは精神的にもぐったりしていました。ただ、様々な仕事に関わらせていただくことで、またひとつ成長できたように思います。

一方で、忙しさに甘えてしまって思うように力を注げなかったり、すぐに判断ができなかったり。仕事に関わる立場や視点が変化していくなかで、力不足を感じる瞬間も多々ありました。

許せない瞬間にも何度か直面しました。自分のなかで多少なり仕事との向き合い方や在るべき姿が確立してきたからでしょうか。制度や姿勢に疑問や憤りを覚えたこともありました。でも、その事実に対して物を申せるほどの言葉や自信はまだ持ち合わせていなくて。嫌な気持ちが増幅して頭の中がいっぱいになってしまうことも少なくありませんでした。

2021年は「結ぶ」ことを意識したいです。様々なセクションの人と連携して挑戦する人への支援体制を強めたり、一緒に仕事をする人を募ったり。けっこう孤軍奮闘してしまう癖があるのですが、ともにものごとを進めていくことを大切にしていきたいです。

 

2020年の頭には「遊覧潜水(個人屋号)としての活動を活発にしたい」と、どこかに書いた記憶があります。結果として、クラウドファンディングやライターとしての仕事が増えて、常に手を動かしている1年にすることができました。ただ、これは僕が思っていた方向とは異なるもので。

遊覧潜水という造語は「感情の深層を探る」といった意味を込めて作ったものです。今年は生成的な活動はたくさん起こすことができたけれど、内省的な心の動きやその機会はほとんど作れなかった。おどりばであったり、それに繋がることであったり、やりたいことはたくさんあったけど、自分のことで精一杯で取り組むことができませんでした。1年を通して、余裕であったり、余白がほとんどなかったということだと解釈しています。そのためにも、仕事の効率化を図ったり、意識的に休みを取ったりする必要がありそうです。ていうか、これは本当に去年1年を通じての心境の変化ですけど、もっと家族の時間を大事にしたいのですよ。それが一番幸せなのですよ。

 

僕は仕事をなんのためにやっているかというと「(一定の)お金のため」そして「別の世界線の自分が幸せであるため」だと思っています。後者に関してもう少し詳しく言うと、僕は過去に何度も死を選択するような瞬間があったと思っていて、同様の選択を迫られている人がいまもきっといるわけで、どんな分岐を進んだとしても肯定的に生きていられる世の中であってほしい…みたいなことを思っています(伝わっているのかこれ)。そのためには、それぞれの在り方を許しあえる社会であってほしくて、そのためにも、誰もが許容されるなにかしらのコミュニティのうちに在る社会環境と、現在の社会が抱える疑問点を変えるような動きを応援していきたいと思っています。だからふと、いまこの瞬間のじぶんのために仕事してねえなあ、などと思うのです。それでいいのだけど。

 

まあ、なんというか、着地点がよくわからなくなってしまいましたが、やりたいことをやっていくためには、お金であったり心の安寧であったり、いろんな条件が揃わないと実現できないのだと、改めて実感させられました。混迷を極めた1年だったからこそ、より如実に。2021年もその延長。きっと今年は、もっと大変なのでしょう。あーあ、疲れちゃうね。疲れたくないんだけど、仕事、嫌いじゃないもんだから、どうせ、疲れちゃうのだろうね。ほどほどにやりましょう、皆様。

 

ハタコシ

おどりばの大家です。深層の想いをともに捜しに。

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