すなお
とある金曜、青年Nは、先輩Sとオンライン飲み会をしていた。
「そういえば、きょう、理不尽な上司の指導に、一言申し上げたら、『お前は素直じゃない。だから、こうやって毎日俺はお前を叱りつけているんだ。』って。ホント、なんなんですかね。あの人は…。」
「ハハハ。あの人は相変わらずだなあ。言っていることは正しいが、結構、無理難題を突きつけてきたり、理想論に傾いたりすることがあるんだよね。」
Sは、昨年同業他社に転職したので、この上司を知っているのである。ビールを片手に、当時を思い返しているようだ。
「その通りですよ。何か言えば、口癖のごとく『素直じゃない』って。そもそも『素直』って何かって話ですよ。」
Nは、海苔に手を出し、その後、コップの中の芋焼酎を一気に飲み上げた。
「『素直』ねぇ。あの人の口からその言葉が出てくるたびに、オレも疑問に思ったなぁ。」
そう言いながら、Sは、少し離れたところにある本棚から古い辞書を取り出して続けた。
「当時、あまりにも耳に残りすぎたことがあって、そこまで言われるんだったら改心せねばと、まずこの辞書で『素直』の意味を調べてみたんだよ。」
「辞書で調べたって…さすがですね。それにしても、ものすごくぼろぼろじゃないですか。いつのものですかそれ。」
「初版が昭和18年5月10日、この改訂新装142版は昭和43年2月20日発行と書いてあるね。」
「53年前ですか。先輩もボクも生まれていないじゃないですか。そこには、どのように書いてあるのですか。」
「うん。『1.ありのままであること。2.おだやかで、さからわないこと。3.心の正しいこと。』と書いてあるね。つまり、かの上司が『素直じゃない』と君に言ったのは、正しいわけだな。」
「なるほどなあ。ボクの持っている辞書も持ってきますね。」
Nは本棚に辞書を取りに行った。Sは、おなすを食べ、ビールを一口飲んだ。
「えーっと、ボクの持っている辞書、初版が1972年1月24日で、この第6版11刷が2007年12月10日発行のものですが、そこには、『1.他人の言うことを、逆らわずに受け入れる様子。2.変な癖や奇を衒ったところの無い様子。』とありますね。先輩の辞書と比べると、詳しいですが、3番目の意味がなくなっていますね。ちなみに、先輩の辞書と同じ出版社のものみたいですね。」
「本当だ。同じ出版社だね。時代によって言葉の説明も変わるんだな。それで、出版社が同じこと以外の感想は?」
「逆らわなければ『素直』というのは、言い方を変えると『従順』になると思いましたね。」
「ほうほう。ちなみに、『従順』の意味はどうなっているかい?」
「『おとなしくて、他人の言うことにすなおに従う様子』とありますね。おまけに『柔順』が本来の書き方みたいですね。」
「それがそうでもないみたいだぞ。こっちの古い辞書には、『柔順』と『従順』が分かれて書いてあって、それぞれ『ものやわらかなこと。やさしいこと。しとやか。』と『したがってさからわないこと。』とあるからね。」
「なるほど。なんだろう…。『従順』って悪いイメージがあったけれども、案外いいイメージの言葉なんですね。」
「そうみたいだね。それで、『素直』さについての感想はそれだけかい?」
「うーん。ボクの辞書には『淳・素・朴・質』も『すなお』と読むとありますね。つまり、人間がもともともっているものという意味合いもあるのでしょうか。」
「いいところに気がついたね。オレもこの辞書以外にも調べてみたときにそんな感じの結論に至ったな。誰だってはじめは『すなお』、つまり、『ありのまま』なんだよ。しかし、生きていくうちにいろいろ吸収したり学習したりしていくうちに、『すなお』でなくなっていくんだよね。」
「なるほどな。いろいろ学習してきているがゆえに、ありのままでいられなくなっているんですね。」
「そうだな。最近話題の承認欲求の強さというのも『すなお』ではないように見られる1つの要因かもしれないね。これは、謙虚さが足りないとも言えるけどね。しかし、ありのままでいることを思い出させるために、『すなお』という言葉があるのかもしれないし、かの上司は我々に口酸っぱくいってくれたのかもしれないよ?大事なことこそ繰り返し話すのもあの人らしいし。」
「そっか。振り返りができるようにあえて言ってくださっているんですね。立ち返ることのできる場所や時間を用意してくれているのか…。」
「そうそう。さまざまな場面において、反復は大事と言われているからね。」
「たしかに!さすが先輩ですね!これからは、じゃんじゃん素直に叱られます!もちろん、反論せずに。」
「上司に叱られすぎるのもよくないから、ほどほどにな。」
Sは笑いながら話すと、おなすを口に入れ、残りのビールを飲み干した。
「ところで、『素直』って、英語で『honesty』と訳すことがあって、これには『誠実』という意味もありますが、似たようなものなのですかね。」
「誠実には、『まごころ。まじめ。』という意味があるが、似て非なるものということになるかな。とはいえ、どちらも、“ほんとうのじぶん”が存在していることには変わりない。もともとのひねくれていない自分の姿や思いがどこかに必ずいるはずだからね。」
「ほうほう。わかりました!ありがとうございます。
Nは、かの上司に叱られたときに、どこか嬉しいと感じた場面があったことをふと思い出した。きっと、これからは、そのように思える場面が増えるかもしれないと期待していた。
実際には、期待通りにならないことのほうが多い。理不尽な上司、お客様、先輩・後輩、先生…、とても『すなお』には応対できない相手が、必ず存在している。避けて通ることはできないだろう。
そのような相手に対しては、
「その人がその言葉の発する意味、その行動をする意味を考えてみる」
というのもアリなのかもしれないと、Nは思った。そう、先輩が辞書で調べてみたように。芋焼酎を瓶から注ぎ、水割りをつくった。そして、早速実践してみた。
「ところで先輩、どうしてこの真冬に茄子を食べているんですか。」
「Nよ。あまり人の行動の裏や意味を読むもんじゃないよ。ハハハ。それよりも、随分いい酒飲んでいるなあ。」
オンライン飲み会は、まだまだ続きそうだ。
私も今まさに
理不尽の洗礼を浴びて生きていますが
社会はそういうもんだから受け入れろ、
というのがどうも納得できず
もがいています。
だけど、
「その言葉を発する意味を考える」というのは
とても大切だし腑に落ちました。
たとえ理不尽でも、
発した言葉に意味があると考えたら
突発的にイライラすることも少しは抑えられるかも。
アンガーマネジメントについてよく考えていますが
私は他者とコミュニケーションをとる上で大切なのは
「想像力」だと思います。
おふたりが議論した素直、というのは、
相手の言葉を受け取り、想像を膨らませられることなのかなと思いました。
うめこさん
コメントありがとうございます。
理不尽な洗礼の最中にあるということで、かなり辛い状況と思います。
そのようなとき、一瞬でもその洗礼の意味を考えていただければ幸いです。
その結果、乗り越えることができ、流せることができれば、
目指すべき、こうありたい姿も「想像」できるのかなと思います。
ありがとうございます。