リーダーの素質。
大切な何かに触れるとき
あなたは何を思うだろう。
大切に大切に温めて、
尽くして、
大事にして。
そんな大切な者から、
自分の想いを踏みにじられてしまったら
、
、
、
ショックを受けるだろうか
裏切られたと嘆くだろうか
なんで分かってくれなかったのかと
恨むだろうか
相手が分からないなんて、それまでだったのかと
見切ってしまうのだろうか
はたまた人間不信になって自分しか信じられないと引きこもるだろうか
、
、
あれだけ尽くしてきたのに、大切にしてきたのに、、、なんでなんだと。
、
、
こんな時に、相手の反応はどうあれ、
それでも、相手に尽くすことが出来た機会に感謝。
誰かを想って行動することが出来た、
利他的(自分の為でなく、他者利益の為)に行動が出来た。
ありがとうございます。
そう思えるかどうかが、人として、さらに境界を開いていく分かれ目らしい。
いわゆる、人を超えて仏になるための素質。
(相手からの見返りが得られずにズタボロに踏みにじられたとしても、、、、、。)
社会人の為の学校
考えてみれば、利他的に行動することと幸福度には関連性があるとの研究結果もあるのだから、
理にかなっているのだろう。
そんなことは研究される前から仏教上では何百年ももっと計り知れない単位の前から分かっていたことなのだろう。
「利他的な行動によって、自分自身の人生の幸福度が大きく向上との研究結果」
Business Journal https://biz-journal.jp/2019/07/post_110786.html
こちらは、Business Journalからの引用です。(他にも似た研究結果は随所で報告されています。)
つまりはビジネス、仕事や私生活にも充分大事な教えなんですよね。
「お寺は社会人の為の学校」だとおっしゃるご住職様もいらっしゃします。
(長野 大町・常楽寺さま)https://www.nichirenshoshu.or.jp/jpn/jptemples/0237.htm
リーダーの素質
上では、仏になる為の素質と書きましたが。
「仏」って何?
仏とは、「主(しゅ) 師(し) 親(しん) の 三 徳(さんとく)」を備えているお方。
導く人、つまりはリーダーの素質を全て兼ね備えているお方。
格好だけでなく、主(あるじ)として、師匠として、親としての徳を備えている方の言動は、説得力も違います。
そして多くの人々をも救い導いていくお力があると。
逆にその徳がないと、ただ偉そうに権力を振りかざしたり、暴君になったり、押し付けたりします。
国家から家庭に至るまで、社会問題でもあります。
逆に、この徳を3つ備えた方は仏しかいない。
ただ、人を愛し何事にも耐えて我慢するなどではなく、
心からの大慈大悲で、人々を導き救っていく。
傲慢やエゴでもなく、慢心をもって人を見下すでもなく。
見返りを求めず、恩に報い感謝をしながら。
そんな仏に会うことが出来たならば、自らも、仏になっていける。
近づくことができる。
仏に成る「=成仏」ための教えがいわゆる仏教ですが、
これはどっかの遠い話ではなくて、死んだ後の話でもなく、今を生きる私たちに通ずるお話です。
そう、社会人の為の学校、生きる為の教えです。
学生だって、広く言えば社会の中で生きている。
だから誰にとっても通じる話。リーダー、先導者を目指さずとも。
人は一人で生きているわけではないので、
人間関係も、日々の悩みの代表格。
そんな時に、理由を相手に委ねるのではなく、
どれだけ自分に立ち返って、自分のズレを直せるかどうか。
それが解決の糸口となります。
「必ず恩を知って、その恩に対する感謝の行動を起こしていきなさいと。
恩を知るのは大人への一歩。仏の心を開く一歩です。」と。
そのズレは自分では勝手に軌道修正するのは難しいので、
リーダーの素質を兼ね備えた方、
仏(御本尊)様のいらっしゃるお寺に足を運ぼうと思うのです。
自分もお寺で学んだばかりのお話ですが、身につまされる思いでした。
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この記事の元となったエピソードは、長野市で出会った方と大町市のお寺に行ったことでした。
その方は長野市在住で、企業管理職をしながら週末は自分でお店を開き事業を起こしている方です。
その方はお寺の檀家・信徒さんではありません。
今までも特にそう行った寺院仏閣には興味もなく、親戚の法事などもあまり無いご家庭で育った50代近い方です。
そんな事業家の方がお寺で聞いた話によって
事業家さん)「ここ1年ほど悩んでいたことの答えが聞けた様だった。本当に来てよかった」
とおっしゃっていました。誰にも話さず心の底で悩んでいたことだったと言うのです。
これには自分もビックリでした。
特段ご住職に悩み相談をした訳ではなく、大勢に向けて話されたご法話だった為です。
それが、まさに企業の管理職、リーダーであるが故の悩みでした。
組織の人に裏切られた様で、辞めたいほど悩んでいたと言います。
今日のお話で心が決まったとおっしゃいました。
この時、自分のつたない会話がきっかけで、誰かの人生の役に立っていることに感銘を受けました。
他者の為を思って動いたことが、本当に繋がった、身震いする様でした。
これは前述の、利他的行動による幸福を実感するひとつだと思います。
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振り返れば、この日参詣できる様になったきっかけは、その事業家の方が開いているお店をご近所の知り合いから紹介され、とても良いお店だったので通う様になったことでした。
何気ない世間話から、
自分)「とあるお寺に通う様になって、生活がうまく回り出しだんですよ〜笑」
と言う一言からでした。
事業家さん)「へぇー、なんでだろうね?」
お布施を巻き上げられる訳でもないそのお寺はどうやって経営?が成り立っているのか、興味を持った様でした。
本当に凄いので、毎日どこの地域の仕事に行っても必ずその宗派のお寺にお参りしていたら、
自分)「最終台湾のお寺にまでいけたんですよ!笑」
日本700箇所、そして世界中にあるんです。
そんな会話でした。
事業家さん)「へぇー、仕事で大町に行く事もあるから、駅近のそのお寺に今度行ってみるよ」
と、こんな会話は、正直社交辞令だろうと思っていました。
ですが本当にその後、その方は自らお寺を訪ねて行かれ、奥さまがおもてなしをしてくれたことや、その後何度か通ううちにご住職さまにもタイミングが合ってお会いできたことを教えてくださいました。
お寺で奥さまに最初に会った時、他の宗派に対してはきっちりと破折し、フラフラどこでも行っていい訳ではないことを話すお姿がとても気丈で筋が通っていて
事業家さん)「カッコいいと思った」
と話してくれました。
そうして逆に、最初のきっかけとなった自分に、その大町のお寺の行事予定を教えてくれる様になりました。そうして、日蓮大聖人様のお誕生会(法要)に、初めて一緒に行くこととなりました。
そこで、仕事の人間関係と仏法の関係について学び、素直にその方はお試しでお題目を唱え始めたと言います。
(お話はどれも論理的で納得度が高くて、正しく生きられる道だと思ったと。独り身なら今すぐ信心修行を始めたいくらいだけれども、まずはお題目から試してみたいと。)
そうしたら翌日に早速、
事業家さん)「人間関係の悩みがひとつスーッと解決した」
と連絡をくれたのです。
本当に何が理由かが不思議なくらいで半信半疑だけれども、
事業家さん)「もう少し真面目にやってみようと思う」と。
そうした中で、お互いに仕事も忙しくて時間が合わないものの、
二度目の訪問で学んだのが今回記事のお話でした。
この方がきっかけで、逆に自分がたくさんの学びを得る機会となっています。
いくつになっても、素直に、教えを実践する大切さ、本気で気遣い行動すること。
法華経が最高の教えであるならば、みんなが素直に始めるのではないかと思われますが、ところがそうではない。むしろ反発する人も多いのが今の時代。そんな中で、縁できることの有り難さ。
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難しいのは承知の上で、
「みんなが利他的に行動する」
自分のことは差し置いても相手のことを一番に考える、
自分が誰かに尽くしたことに対して見返りを求め無い。
本当にそんな社会が実現したら、マジで世の中幸せになるんじゃないかって本気で思ってます。
道は険しいけれど、自分に出来る事を、一歩一歩。
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