ひとをうごかす、ということ
「ひとをうごかすこと」
最近考えることだ。
ひとをうごかす、場面はたくさんある。
なんならデパートかなんかで「こちらですー」と誘導するのも「ひとをうごかすこと」だ。
でも、それは「そこに行きたい」というその人のうちに動機があるから、その誘導に従う。
では、その動機がない場合はどうする?
例えば、部活動で顧問が、モチベーションの低い生徒になんと声をかけるか。
考えてみた。
① 正論で諭す : 「お前たちで立てた目標は○○だろ!」
② 感情に訴えかける : 「おれはこのお前たちと試合がしたい!」
③ 恐怖で脅す : 「真剣にやらなかったら外周10周してこい。」
④ 誘惑する : 「真剣にやってくれたらアイスを買ってあげるよ。」
⑤ 自分がやって見せる : 先生自身が一番に来て、準備をする
今の自分の頭で思いつくのはこれくらいか。(もっとあるかもだが)
誰しも、少なからず似たような経験があるのではないだろうか?
学校の中なら、委員会や係、部活動などで人前に立った場面、後輩を指導する場面、会社なら後輩やお客に対して。会社に入ったことがないからわからないけど。
でも、そもそも、「ひとをうごかす」なんて大それたことができるのか?
結局はその人次第なのだから。
自分の力で、その人を「うごかす」なんておこがましいのでは?
せめて自分の思うを訴えかけるのが精いっぱいなのでは?
そんな思いがあるからなのか、そうでないのかはわからないけど、自分は結構②を選択しがち。
選択肢の中でどれがいいのかなんてわからないし、そもそもないだろうと思う。
その人のもつ人柄によっても違うから、仮にAさんが①で上手くいったとしても、同じ部活のメンバーにBさんが①で話しても響かない、ということは往々にしてあると思う。
と、思っているけど、なんだかわからないけど、うまく動かせる人が確かにいて、その人を見ていると、方法にも正解はないってわかっているけど、その人の方法をまねようとしてしまう自分がいる。
苦しい。
こんな文章を書きながらぱっと頭に浮かんだ言葉
「やってみせ 言って聞かせてさせてみて 誉めてやらねば 人は動かじ」(山本五十六)
先人の言葉が身に染みる。
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