こころをうしなう

住人



「こころ(心)」を「なくす(亡くす)」




と書いて






「忙」しい




という字になる。

ただの漢字の綾だとしても、うまくできているなと感じる今日この頃。


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自分にとっての「忙しい」とはなんなのだろう







ここ1、2週間は物理的にやることが多かった。


それでいて休みの日は予定を詰めていた。


加えて、今こうしてコロナ禍のためにできたオンラインでの勉強会や友達と話をする予定が、パズルのピースのようにはまっていた。


なので、必然的に「なにもしない」という時間がなかった。






だからといって、「忙しい」と感じていた訳ではない。

実際、仕事終わりの夜や休みの日に人と話したりして、自分の知見を広げることは楽しいし、何より充実していた。



でも、

充実はしているけど、なにか足りない。









そんななか、今日(日曜日)の昼下がり、久しぶりの何にも予定のない時間。



やるべきことも終わり、ゆっくり夕食を作り、アマプラで映画を観ながら過ごす時間




「あ、自分って、こういう時間が好きなんだな」


と改めて思う。




そう思う自分を俯瞰して、自分は「やるべきことを終わらせること」に充実感を感じ、そしてそのあとのご褒美としての「自由」に快楽を感じることに気づく。

そして、その「自由」には自分「一人」でいたい。






車が走り続けるためにはガソリン補給も運転手の休憩も必要だ。

同じように、日々の生活にも当たり前に「休憩」は必要だ。






そして、その休憩にも

「人といる休憩」



「一人でいる休憩」


の両方があって、



でもたぶん、

その両方が人には必要で、でも、その割合は人によって違うのだろうと思う。

人によって心の天秤を釣り合わせるために載せる左右の重りの重さが違うかのように。




ぼくの場合、最近その天秤が、アンバランスで、片方に寄っていたのかもしれない。



「こころ」を「なくさない」ために、自分の天秤にあった「休憩」をとろう。






あかっぱ

よく中学生に間違われます。「見た目はこども、中身もこども」な25歳です。

プロフィール

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