受け取ろうとする人に届く

住人


今年の年明け、職場にて

新年の目標とか立てた?

という話になった。

節目だからといって目標を立てることは、全くしないではないけれどほとんどしないことに気づいた。

具体的な事柄の目標(タスク?)を決めて達成・クリアして、また目標を決めて達成して、というよりは、

明確な人間としての完成形イメージ-目指す幸せの形、人物像(人間性)然り生活(ライフスタイル)然り、を持っていて、

そこへ真っ直ぐ向かう道すがら、拾い物をしたり寄り道をしたりして、逸れてきたぞっていう違和感に気づいたときにアップデートや軌道修正として場所や環境を変えている、というのが近いかもしれない。

常に自分自身の状態に客観的な疑いをもってテコ入れをしている。

私が(みんなが言う)目標として立てていることはTo doリストに近いのかもしれない。

ジム戦じゃなくてずっと草むらでレベル上げをしているかんじ。

など考えていた。

 

そんなわたくし、24号室のはろですが

この度おどりばを退居することにいたしました。

入居したのはちょうど1年前の2月。

1年いたうちの、6回、半年分しか、記事は更新できなかった。ごめんなさい。

入居したときは感情や感性が止まって、日常が色褪せて味気なくて、溺れているみたいな息苦しさだった。

おどりばという場に出会えて、今一度落ち着いて自分と向き合う時間を取ろう、手が届く身の回りのことからきちんと確かめなおそう、と、思っていたのだけれど、

目まぐるしく環境が変わり(変えて)、結局おどりばはお休みばかりいただいていました。

でも1年、静かにおどりばで暮らして気づいたことがある。

もしかすると、おどりばに出会って入居を決めて、認めてもらった時点で

もうすでに苦しかった自分は解放されたのかもしれないな、と。

だからこそ動き出せたし苦しい日々を変えていけた。

おどりばに立ち止まった一歩は、踏み出す最初の一歩でもあったのだ。

忙しい日々の中では気にも留めなくなってしまうけれど、「いつでも立ち止まることを許される場所がある」という潜在意識下の安心感は測り知れない。

 

こんなことに、年明けふと気がついて、

あ、わたしはもう大丈夫、いける、と思ったので、退居を決めました。

一年前のわたしのように、今おどりばを求めている人に、この場所を譲ります。

ここを出たら私は、また新しい道へ進もうと思います。

その覚悟がようやくできた。

不安や迷いはたくさんあるけれど、いつだってひとつずつ着実に、楽しく、草むらのレベル上げをしていこうと思っています。

晴れ晴れと、旅立ち。

 

ありがとうおどりば。

運営のみなさん、迷える住人のみなさん、

24号室に立ち寄ってくださったみなさん、

ありがとうございました。

私の心の中で、大切な拠り所として、宝物として抱いて、行きます。

もしまた挫けそうになったときは戻ってきてもいいですか、

それまではがんばってみるよ。

 

p.s. 今回のタイトルは、ある朝目覚めたときに突然やってきた言葉と意識でした。

受け取ろうとする人に、必要な情報や好機や愛は届く。

いくらいいものが来ていても、塞ぎ込んで目を閉じていては見えないし、耳を塞いでいたら聞こえない。がらくたをいっぱい抱えてそれ以上持ちきれないなら受け取れない。

自分が望むものを受け取るためには、空けておく必要があるんです。受け入れるためのゆとり、スペースを。

わたしがわたしのために書いたこの言葉たちも、どうか必要とする人の小さなきっかけとして届きますように。

ありがとうございました。

はろ

何者でもない わたし と あなた に寄せて。

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