カオナシに顔を

住人

 

人を信じるってなんだろう。

私は、多分「信じる」を履き違えている。「信じる」と「依存する」の区別が未だにはっきりしない。特に恋人や仲の良い友人にはそれが顕著になる。一度心を許した相手には、とことん甘えてしまいたくなるし、優しさを求めてしまう。自分の都合のいいように期待ばかりしてしまう。その求め方は一般的なものではなくて、バケモノのように相手を飲み込んでしまう勢いがある。千と千尋に「カオナシ」というキャラクターがあるが、あれが暴走する感覚に似ている。いわゆる「愛着障害」といわれる部分があるのかもしれない。

無論そんな醜い自分をみせることは自滅にしかならないことも知っている。だから、かなり自制しようとしているし、これでも割とできている方だと思う。でも、やっぱり時々それが顔を出してしまうみたいで、相手を怯えさせてしまうことも、ある。

その結末は、というと。
当たり前だが、だいたいは手を離される。

信じて歩み寄って、手を離される。
それが、私には無茶苦茶に怖い。

そういう経験が何度かあって、自分が人を信じることに向いていないのだと、やめてしまおうと思った時期もある。苦しかったからだ。

もともと、人の特徴を掴むことは得意だった。感情の変化にも敏感な方だった。だから、相手を観察して、考えて、見定めるようになった。
そうすることで、人間関係をうまくやれている。つもりになった。

本当は、ただ、他人を知ることで、知った気になることで、相手を自分の予想の範疇で動かせるようにしたかっただけだ。その枠を超えた期待も、信頼も、しないように。賢いつもりになっていただけで、ただ、人と向き合うことから逃げていた。

 

少し前に人から言われた。

「しーちゃんが信じないと、相手の子たちも信じてくれないよ。」

 

信じていない、というつもりはなかった。ただ、その「相手の子たち」に求めても無駄な案件だと思って、彼らの枠には収まらないことだと思って「頼っても仕方がない」と判断しただけのつもりだった。

 

しかしその言葉は、私の心臓にぐさりと刺さったまま、なかなか抜けなかった。きっと図星だったからだ。

最近、少しずつ「相手の子たち」と向き合うように努力している。
できるだけ、自分の感情や、考えていることを伝えようとしている。
そうすると、相手もほっとするみたいだ。彼らもぽつりぽつりと気持ちを話してくれた。

 

話をしてみると、自分が思っていた彼らの像とは違う部分がたくさん出てきた。
私は、すっかり知った気になっていただけで、本当の彼らを見ようともしていなかった。
いつも逃げてばかりで、向き合ってこなかったことに気づかされる。

 

対話は、決して無駄じゃない。
どうして初めからあきらめていたんだろう。

 

他人への諦め癖は、そう簡単に治せるものじゃない。
それでも、ちょっとずつ、相手に自分の顔を見せて
ただの予想や決めつけじゃなくて、しっかり相手の顔を見れるように努力したい。
それはとても労力のいることだけど、本音と本音を交差させないと得られない喜びもたくさんあることに気が付いた。

 

人を信じるって、何だろう。

 

「頼れる」ことか、「期待する」ことか。はたまた別の?

 

まだまだはっきりとは掴めていないけれど、少しだけ「信じる」という言葉の意味に近づいている気がしている。

 

しーちゃん

梅雨生まれの晴れ女。好きなものはぶたさんと抹茶。天敵は足の多い虫。趣味は映画鑑賞、演劇、細かい作業。

プロフィール

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  1. ゆうりゆうり

    ああ、わたし、逆側の体験を何度も繰り返しています。
    いつかしーちゃんさんと、直接お話したいな。