やりたいことを探しに

住人

中二病のようなタイトルをつけてしまった。

「27歳」は人生のターニングポイントだと、誰かから聞いたことがあるが、新年度が始まり、私自身、「27」という歳でいられるのもあと1か月に迫り、改めて「自分の本当にやりたいことは何だろう?」と考えずにはいられない。


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今日、小学校の同級生と登山をした。

そして、

温泉に入り、

おいしいカレーを食べ、

「またね」と別れた後に

昼寝をして

今にいたる



我ながら素晴らしい休日だと思う。


その中で同級生と話をしたのが





「本当にやりたいことは何なのか?」






皆さんも一度はこう聞かれたことがあるのではないだろうか?

「○○くんは将来何になりたいの?」


日本では、子どもに「将来の『職業』」を尋ねる。


しかし、欧米や北欧、オセアニア諸国では、こう尋ねるという。


「○○くんはなにをやりたいの?」





これは全然違う。


私は「将来何になりたいの?」という問いに早く答えたくて、「スーパーの店員」「建築家」と変わりつつ、中学の段階で「中学校の教員」と将来の「職業」を決めた。

しかし、「なぜその職業がいいのか」ということの理由は

「自分に向いているから」

「自分の力が生かせそうだから」

「教えることが楽しいから」

「自分の中学時代が楽しかったから」


といった理由だった。

ここに「自分はこれをやりたい」は存在しない。


そして、一度職業を決めてしまうとそこから「自分のやりたいことは何だろうか?」という問いに向き合うことはなくなる。


そんな自分だから今になって「自分の本当にやりたいことは何なのだろう?」と考えているのだと思う。

もちろん、今「教師」という仕事が「やりたいこと」ではあるし、楽しさ、嬉しさ、やりがいもある。

しかし、同じ「教師」という仕事の中でも時々見失いそうになる時がある。

「これは自分のやりたいことなのか」と

もちろん「やりたいこと」はいっぱいある。

今日のように、

・友達と登山すること

・友達とおいしいご飯を食べること

・温泉に入ること

・自由な時間があること


学校で言えば

・授業で「わかった」「楽しかった」と言ってもらうこと

・クラスの子たちが「これやりたい!」といったことを実現させること

・クラスの子たちが笑顔でいてくれること




でも「本当にやりたいこと」なのだろうか?

「本当にやりたいこと」ってなんなのだろう?


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自分は今まで

「自分が生き生きとしていること」


を自分の人生のゴール、人生のあり方として設定してきた。


しかし、最近思う。

「自分がやりたいことをやっていても、それで周りの人に人がいなかったら?」

「周りの人が笑顔でなかったら?」





それは自分の「理想のあり方」としては不十分だと思った。



「自分がやりたいことをすることで、周りの人もハッピーになる」

「自分のやりたいことが、ほかの人の貢献につながっている」





そんなあり方が、今は理想だと思う。




そう考えたときに自分の「本当にやりたいこと」はなんなのだろう?

・自分がやりたいことをやっていること?

・子どもたちがやりたいことをすべてかなえてあげること?

・周りにいる人全員が笑顔でいること?

・でも、「全員から好かれる人生」っていい人生なの?

・「やりたいこと」だけやっていればいいの?

・「嫌われること」「苦手な人」「苦手なこと」があって当たり前なんじゃないの?

・むしろ、嫌なこと、つらいこともあるから楽しいことも、嬉しいことも際立つんじゃないの?

問いは続く。

しかし、忘れてはいけないことは







「あかっぱはあかっぱの人生の主人公であること」

「『職業』をするためにあかっぱの人生があるのではなく、あかっぱの人生の中に『職業』があること」




「やりたいこと」は落ちていない。自分で探しに行こう。自分の心の中に。

あかっぱ

よく中学生に間違われます。「見た目はこども、中身もこども」な25歳です。

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