容赦ないスージーの暴力

住人

フォロワー数とか閲覧数を気にするのはわかるけれど、それに一喜一憂するほど、わたしは若くなくなってしまった。絶対的に数字が正しいのか?! 大きければ大きいほど正解に限りなく近いのか?! 疑問符。友だちが多ければ、良いなんて、今さら、何を言ってるんだよ。50歳目前にして信頼できる人など妻と娘の家族以外いないのだ。そういうもんだろ? 若い人よ、覚悟しておいてほしい。年を重ねたら重ねただけ孤独になるぞ。絶望するな、大丈夫。意外と居心地はいいよ。

お金もたくさんあればいいかもね。宝くじも当たればいいよね。でも、≪身の丈≫ってものがあるから、当選金10億円なんていらねえよ。せめて10万円。お給料だって時間を換金することほど、愚かなことはない。自分の時間を持ちなさい! 死守しなさい! ってなんで命令口調なんだよ。ムカつくんだよな、あの本のタイトル。長く生きたからって何が偉いんだ。えばるな。ベストセラーなんてクソだ。あんな年寄りにはなりたくないね。

ヒットチャート1位の曲には興味はないなんて、いまだに『夜に駆ける』聴いてるおじさん。たとえば≪25作連続オリコン初登場1位!≫とかどうでもよくネ? 今時オリコンはオワコンか。≪オワコン≫っていう言葉自体も終わっているか。音楽雑誌の編集者をやっていた頃、あれは間違いなく≪音楽バブル期≫で100万枚セールスのシングルなんてザラ。400万枚売れるアルバムもあった。狂ってるし、カラオケに行けば、一人残らず同じ曲で盛り上がれるって、異常でしたね。今だって疑問だけど、売れれば良作なのか。ミリオンセールスした作品のくせに、ブックオフで110円で売られる末路。好セールスを記録した芥川賞作品もあっという間に、古本屋で大安売り。消費される芸術。商品化される芸術。それは≪芸術ではないモノ≫に朽ち果てる。

岡本太郎はアートなのか。ブルース・リーは本物なのか。カート・コベインは優れた音楽家なのか。偶像化し崇拝されるなんて本人たちも望んではいなかったはず。世界中の人に愛されるなんて悲劇だ。数の暴力だ。ただ必死に≪自分≫であろうとしただけなのにネ。「ビートルズはキリストより有名」って、ジョン・レノンが言ったのはすごく有名な話。今では本人も≪星≫になってキリスト以上に熱狂的な存在になってしまったな。

数字にこだわることはすべて悪なのか。そうでもないのかもしれない。わたしにとってのスーパーヒーロー・イチローさんは年間200本安打を目指す日々を、かつて。実際にそれ以上の成績と記憶を残しましたネ。すごいです、偉大です。でも、もっとすごいのは、1本1本積み重ねていくことでしか、高みへは行けないことを証明したことで。お相撲さんがアナウンサーに今場所の目標を聞かれて「一番一番、一生懸命取るだけス」って皆揃って言うのでつまらないんだけど、実は本質だなあ。数的な大記録を残すほど、地位があるとされる相撲界には大疑問を持ちますが。まあ、あれが日本社会の縮図なのでしょう。

人って数字に騙されるネ。スポーツ選手に対してのそれが、わかりやすい例。そこまでのアプローチを見ないで、数字だけで「大してがんばってない」だなんて、酷い話。藤井聡太さんだって、今、何冠だっていいじゃない。若ければいいってものでもない。村方乃々佳さんを「かわいい」とか言ってるんじゃないよ。かわいそう。まだたったの4歳なのに。「あんなに小さいのにすごい!」って、あなた、バカなんじゃないですか。って人にバカっていうわたしが一番愚か。

そうなんです、≪いい年して≫って数字にこだわってるのは、わたしじゃないですか。もう50歳になるから≪立派な大人≫になれって誰に言われたんですか。年齢なんて関係なくて、年長者や先輩だからって尊敬されるものでもないでしょうよ。体重が何kgだろうが、自分の体を愛せよ。年収がみみっちくても自分自身に自信を持てよ。

数字に捕らわれない一生なんて無理かもね。でも、わたし的にはわたしかわたしじゃないかがすべて。年収1000万円を目指すな。文学賞で頂点を獲りに行くな。これを読まれた数に振り回されるな。何歳になったって≪自分≫でいられることが重要。0か100かの極端な≪なかがわよしの≫を治せっこないから、0でいいよ。0は数字じゃない。何もないって意味。100に近づけることほど、みっともない行為。何もなくてバカにされたい。文章下手だと笑われて、死にたい。葬式に一人も来ないで憐れんでくれたら、最高。

なかがわ よしの

生涯作家投身自殺希望。中の人はおじさん。早くおじいさんになりたい。

プロフィール

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。