【018】無茶と書いてチャンスと読め

住人

最近、23歳になりました。フォルテッしもです。
22歳は思いもよらないことが多く起こり、人生いつ何が起こるか本当に分からないということを実感した年でした。

思いもよらないことは面白いですが、数多くあると疲れるようになってきました。
これが老いなのかもしれない…

さて、2014年公開のコメディ映画「ジャッジ!」をご存知でしょうか。
僕にとっては非常に思い出深い作品で、僕が初めて映画館で観た「ドラえもん」以外の映画でした。

当時はまだ中学生だったんですが、めちゃくちゃ面白かったですね。
重い映画とか、凝りまくった映画が多い今の時代にはなかなかない、お茶の間でも観られる軽めな映画だと思います。アマプラとかで観れるらしいですよ。多分。

そんなことは置いといて、この映画の中で「無茶と書いてチャンスと読め」というセリフが登場します。
どういうことなのかは映画を見てもらうとして、中学生の僕は中学生なりにこの言葉に深く共感しました。
「共感」なんてカッコいいもんじゃないですね、「すげー」って思ったというのが正しいでしょうか。

しかしその言葉が、今でも自分の中に生きています。

まぁ無茶なこととか無茶ぶりって世の中にあふれてると思うんですね。
仕事でも、プライベートでも。

英語で言うと「Mission Impossible」でしょうかね。まぁ英語にしなくても良いんですが。

ただ、何が無茶なのかってのは、頼まれた内容だけで決まるものではありません。
それを頼まれた側の人間のスキルやキャパによって変わりますし、無茶だと思っていたことができてしまえば、その人にとって無茶ではなくなります。

ただもちろん、無茶ぶりされた瞬間は「そんなの無茶だ」と思ってしまうものです。

しかし無茶ぶりには「チャンス」な側面もあるわけです。

一人で抱えてしまっては時間・感情・精神的にキャパオーバーしてしまいますが、他の人を巻き込んでみると、思いのほか自分のスキルも上がっていきます。
そして見える世界もどんどん広がり、できることも増えていきます。

無茶だと思っていたことも、いつしか無茶ではなくなっていく。

できないことができるようになる経験は、大人になるにつれて少なくなっていきます。

今思うとなんでそんなにできるようになりたかったのか分からない「逆上がり」も、結局のところ成功体験を味わうためのものだったような気がします。

勉強、趣味、娯楽。
どんなものも、畑が違う人からしたら無茶なものです。

でも、自分に振られる「無茶」なんて、100%自分に関係のないものであることはまずない。
できる可能性が1%でもあるのなら、やってみればいい。

だからこそ、自分にはできないような「無茶」を振られることが「チャンス」なような気がしませんか。

フォルテッしも

1999年生まれ。うどんが好き。変えられるものを、変えていく。 思ったことを、思っただけしか書きません。

プロフィール

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