他人の中にいる自分

住人

「優しいあなたが好き」という言葉は呪いだった。
優しさを取っ払ったあとに残る自分のことを、その人は求めていないのだとわかってしまったとき、どうしようもなく悲しくなった。

「おまん(あなた)はほんとに真面目一筋でやってるね」って、10代の頃 おばぁちゃんによく言われた。
おばぁちゃんのことは好きだが、真面目じゃなくてもゆるしてほしい って思った。

僕がほぼ管理している「自分ではない」Twitterアカウントがある。明るいことを発信するアカウントだ。今はなかなか更新できていない。
僕がツイートしているのを知っている人は知っていて、その人たちに自分の明るい部分だけを見られるということに対して、時折迷うようになってしまった。

自己の一部分だけを見られ、それを「自分」そのものだと捉えられてしまう。よくあること。この仕方のない事実に対して、時に虚しさを感じてしまう。

優しいだけじゃない。冷たい面もある。
真面目だけじゃない。怠惰な面もある。
明るいだけじゃない。暗い面もある。
外から見えている要素以外にも、自分の要素はたくさんあるのに。

他人の中にいる自分の役割や立場、印象なんて、自分にとってはどうでも良いことではあるが、どうしてもそこに縛られてしまう。縛られすぎて苦しく感じることがよくある。

きっと僕や僕と同じような生きづらさを感じている人に必要なのは、どんな自分であってもゆるしあえる関係性なんだと思う。僕は長野の友人たちといると居心地が良い。どんなにふざけても、真面目に話しても、気持ちを開示しても、どんな自分であっても、ゆるしてくれる。そんな人が多い。


「○○をやっているXさん」じゃなくて、僕はXさんに興味がある。「Xさん」を先に持ってくれば、○○だけじゃなく△△をやってもいい。「何者か」で定義されていない「何者でもない普通の人間」として、目の前の人を扱いたい。人を上に見ることも下に見ることもやりたくない。平等に目の前の人と向き合って、許容したい。

何者でもない自分について より


僕が初回のおどりばで書いたことは、今も思い続けている。

この文章を読んでいる人たちには、◯◯なあなた、ではなく、「あなた」のことを見てくれるような人を大事にして欲しい。そして僕のことも、何者でもない「ワタナベユウスケ」として見てくれたら。僕は嬉しい。

【 今日の一曲  】
ミックスナッツ / Official髭男dism

仮初まみれの日常だけど
ここに僕が居て あなたが居る
この真実だけでもう 胃がもたれてゆく
この一掴みの奇跡を 噛み締めてゆく

ワタナベ

新潟県上越市生まれ。THEYELLOWMONKEYが好きです。

プロフィール

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