8月

住人

人間が考える葦なら私はただの葦でよかったのに、と帰り道に思いつきました。

メソポタミア文明では粘土板に葦を加工したペンで文字を刻んでいたそうです。楔形文字がボールペンを使って書くにはなかなか難しいというのも、その時代の文房具がそもそも違っていたからなのだと、前期の授業で改めて知りました。ついでに、メソポタミアでは羊(とその毛皮)が重宝され、それは文字にも表れているそうです。

私が新しいことを知ってわくわくしても、それはもう地球上の多くの人が知っている常識であって、だから私が知ったところで私が満足するだけだから、これ以上私が何か努力することなんてあるだろうか。私がやらなくても誰かがどうせやるじゃないか。そんなことを思っていたら、もう考えないただ生えて刈り取られて削られる葦のままでよかったのに、と考えてしまいました。

manako

進学で長野県外にいます。ときどき思い出す言葉は「理解するのではなく認めよう」

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