なるべくHAPPYに働きたい
大学生の頃、社会に出て働くのが嫌で嫌でしょうがなかった。本当に嫌だった。当時、なんとか働かない方法を考えたけど、特に思い浮かばなかったので、こうなったら大学生活の4年間は徹底的に怠惰な生活を送ると心に決め、大学の勉強は留年しない程度にして本当にグータラな生活をしていた。だから新卒で入社した会社(今の会社)の研修が2ヶ月あったけど、1回は朝寝坊して遅刻、もう1回は社外研修で大学の友人に会って休憩中に遊び遅刻した。入社してすぐ始末書みたいのも書かされた。まあまあ大きなゼネコンで体育会系気質な社風なので、かなりキレられて、もう首かなーなんて思ってけど、意外と簡単には首にならず、(そもそも会社側も簡単に首にすることができないらしい)これ以外も散々な目に遭って来たけど、(自責他責込み)なんやかんやここまで働いている。この散々な目については書けばキリがないので書かないけど。
そもそもなんでそんなに働くのが嫌だったのか、それは働くこと=苦痛でしかないイメージがあって、テレビを見るとサラリーマンが朝、ゾンビみたいな顔して満員電車で揺られて出社して、終電で帰る映像が流れてたから。あとは父も建設業で働いていたけど、本当に忙しくしてて、仕事が忙しくて病気になったり、単身赴任してて月2回くらいは自宅に帰ってきてたけど、帰れば帰ったで、イライラして母と喧嘩をしてて、そこまで必死に仕事しないと生活できないんだなんて中学生くらいの当時は思っていた。
そんなイメージのまま就活したので、特に入りたい会社がある訳でもなく、やりたいことがある訳でもなかったので、「もうお金もらえれば良いや」という気持ちで投げやりで就活してた気がする。全く一貫性がない就活だった。大学の学部は農業で、銀行、広告、食品、農協、メディア等受けて、全て落ちた。当たり前だ、一貫性がない。ざっくばらんも良いとこだ。志望動機なんて800字もない、そんな気持ち800字もある訳ない。エントリーシートの志望動機も自己PRもネットのテンプレを合わせに合わせて作ってた気がする。そして唯一、4年の冬に追加で募集してた今の建設会社に応募したら受かった。受かった後に分かったけど、建設業は3Kと呼ばれてて(きつい、汚い、危険)、かつ休めないという話を聞いてしまい、友人に絶対やめた方が良いなんて言われたりした。確かその時、逆にそんな風な業界で試しに働いてみるかって感じで興味が湧いて、無理ならすぐやめれば良いやなんて思ってたきがする。
実際に、入社して周りの人を見ていると、やっぱり目的はお金のために働いていた。当たり前だけど。お金のために、上司や取引先の無茶な要求や、半強制で飲まされる飲み会に出席させられけど、決して断らない。みんな我慢して参加する。仕事中も定時のチャイムがなっても決して上司が帰るまでは帰らず、地蔵みたいにずっと仕事をしてる人たちばっかりだった。中には朝から夕方まで働いて、夜勤に出てっていう働き方をしている人、病気になって入院してもパソコンを買って入院先で仕事している人もいた。そんな人たちを見ているとこれくらいやるのが普通、という風に周りも影響され、まさに24時間働いている人たちばっかりだった。たくさん残業している人は偉いらしい。他の社員は「あいつは遅くまで頑張っている、俺も見習って頑張ろう」って思うらしい。自分は思わなかった。「さっさと自分の仕事を終わらせて、家に帰ろう」。そんな風に思ってた。お金のため。家族のため。正直全く気持ちがわからなかった。飲み会の席で「どんな車乗りたい❓」「キャバクラ行きたい❓」「どんな家に住みたい❓」なんて聞かれたけど、どれも全く興味がなく、車なんて別に動けばなんでも良いし、キャバクラ行ったけど何が良いのかさっぱりわからないし、家なんてそもそももし家族が出来たら考えれば良いし、上手く答えられなかった。正直、自分には死ぬほど働いてお金を稼いでまで、欲しい欲望はなかったので、周りが押し付けてくる欲望に合わなかった。まさに自分が想像していた働く=苦痛のイメージそのままだった。入社して3、4年くらいはそんな感じだったので、いつ辞めようという感じで辞めること前提で働いていた。働くことが苦痛以外感じなかったから。
それがここ2、3年くらいは社会全体の働き方改革の影響や若い社員がどんどん辞めていって、本当に人がいなくなってきたのもあって、雰囲気も変わりつつある。なるべく残業を抑えて仕事したり、飲み会もあんまりなくなったり。下戸なので、飲み会は全くなくて良い。そんなとき自分はそこまで働かなくても、生きていけるのではと思うようになった。今のところ、たくさんのお金で欲しい物は特にない。じゃあなんでそこまで働く必要があるのだろう。将来が不安だから、家族が欲しいから、良い車が欲しいから、など考えたけど、やっぱり思い当たるものはない。でも働くこと、(自分にとっては街の壊れた構造物を修繕したり、、)で社会の為になっていて、それでお金を貰えているので、程よく働くことは良いことなんじゃないかと思ってきた。街の為に良いことをしているのだから。良いことをするのは、自分にとっても気持ちが良い。街の一員になっている気がする。だからせっかく働くならハッピーな気持ちで働きたい。どうやったらハッピーな気持ちで働けるか、最近色々な本を読んでいる。それらを読んでいると、働くこと以前に、自分が幸せでいる方が先という情報を見つけた。そうすると幸せについて考えなければということで、特に前野隆司さんという幸福について研究している方の本を片っ端から読んでいる。自分は幸福なんてことについて考えてこなかったのですごく参考になる。幸福なんてものは漠然とし過ぎていて、かつ幸福の定義なんて人それぞれだって思ってたから、そもそも考えること自体無駄って思っていたけど、全然無駄じゃないと思ってきた。自分は物質的に恵まれていて、衣食住で困ったことはないし、もう今日本で日本人として生まれた時点で、あんまりそういうことで困ることはないんじゃないかな。もちろん人によるだろうけれど。でもそれに比べても、世界を見渡せば、やっぱり日本にいる時点で恵まれていると思う。物質的に豊か=幸福とはならない気もする。幸福でいることと働くことは凄く関係があるらしい。それについてはもう少し本を読んで自分なりに情報を整理して、備忘録として次回の更新で自分なりの考えをまとめてみたい。
そして、結婚やパートナーの有無もそれに関わってくるけど、30歳になって思うのは、ほんと昔は(20代前半くらい)ただ可愛いあの子と手繋ぎたいとそういう邪な気持ちで付き合ったりしてたけど、今はそれよりも一緒に楽しい時間を共有したいとか、何かやってあげたいとか、純すいにあの子がハッピーになったら良いなとか、年のせいか❓お節介な気持ちも湧いてきた。自分がいつか死ぬことを考えると、残された時間を周囲の人たちと穏やかに楽しく過ごしたい。人と人との関わりは複雑だから、なかなか上手くいかないことはあるけれどなるべく自分がそういうことを常に心がけることが大事なんじゃないかと思う。
あとおどりばについて、こんな感じで思いついた時に気ままに書いているけど、これで良いのだろうか。笑
もし良くない場合はどなたかおっしゃてください。🙏
お願いします。
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