”諦めない”が才能なんて草
唐突ですが、夢はありますか? お金持ちになりたいとか、結婚したいとか、あの有名人に会いたいとか、就職活動で成功を勝ち獲りたいとか、SNSでバズりたいとか、長生きしたいとか、現実的なのはもちろん。来世は異性として生まれたい、あるいは、宇宙人に会いたい、または、野球経験なしなのに、MLBで活躍したいとか、非現実的なのもOKです。
話は逸れるようで逸れませんが、大谷翔平くんってそんな魅力的ですかね。いや、好青年だし、それこそ非現実的な活躍ぶりなのは認めるけど。わたしが思うに、あと10年、二刀流でちゃんとした結果を残さないと、存在証明されないと思うんですよね。だから、まだまだイチローさんを追い越したとは思っていないです、わたしは。彼がお茶目なナイスガイっていうだけで、終わってほしくない。そんなの関係なく、人種も血の色さえも乗り越えて、力づくで才能を認めさせる、そんな野球人になってほしい。
大谷翔平は天才なのか?
大谷翔平は天才なのか?
違うと思う。人よりも野球が好きな苦労人。怪我で苦しんだ一般人。そして、まわりのサポートに感謝を忘れない超*いい人。それは才能じゃん? っていう人もいるでしょうね。でも、誰でも掴めそうだから、特別な才能ではないとわたしは思います。それこそ苦労すれば獲得できる才能。って書いておいてアレですが、そんな才能は才能って言えないよね。絶対に誰にも真似できない才能でないと才能とは呼べないですよ。二刀流へのこだわりも才能ではない。大谷翔平くんを見て、二刀流を真似してがんばりたいって努力する少年や少女が現れるのは、間違いないわけで。
そんなこと言ったら、世界に才能はなくなるじゃん、って言われちゃいますよね。そうです、はい、私見では才能はこの世に存在しないと思います。『いやいや、百歩譲ってそれは認めるけれど、努力することは唯一の才能だと言わざるを得ないでしょう』って言ってくれる人もいるかもね。でもさ、努力するのは当たり前じゃない?! 仕事でも人間関係でも、より良いものにしようって、自然に考えるのは、よほど偏屈な人でない限り、普通のことじゃん。さらに突っ込むと、その≪偏屈な人≫は才能溢れる人ではなく、個性豊かな人だとわたしは考えるわけス。屁理屈かしら。
先日まで某専門学校のCMを観る機会に恵まれて、そのキャッチコピーが気になった。≪諦めないことは才能≫的な内容で、わたしはあごが外れそうになりました。詐欺じゃないですか。嘘つきじゃないですか。怒りのあまり失禁しそうになりましたよ。≪諦めることは才能≫っていうのだったら、そこまで憤ったりしなかったはず。諦めない、ってことは、すでにがんばっちゃってるってことじゃん?! がんばるのは普通のことだし、好きなことだったら、努力なんてする必要はないんです。美化しないでほしいわけですよ。
そんなわたしも実はつい先日まで、自分の才能は≪小説を書き続けていること≫と自負していました、恥ずかしながら。「よしのさんの続ける力は才能ですね」って言われてなんかえらくなった気にもなりました、そんな時もありました。でも、それらは傲慢でしかないってことに気づいたんス。あの専門学校のCMを見たからなんだけど。だから、ありがとうと言いたい。今までお世話になりました。
わたしは才能とは無縁の世界へひとり旅立ちます。ただ≪好き≫っていう気持ちを大事にする表現者になるス。好きじゃなくなったら小説を書くことをやめるし、戯曲もやめる。朗読活動も自然消滅。家族を守り、守られること、家族と一緒に生活を営んでいくこと。それが人間の本質。そのことに気づけたのはラッキー。その傍ら、書きたいから書いていければ、幸運ですよ。
野心に溢れたあなたに憧れていたのに。若い人から言われました。でも、きみもいずれ気づいてしまうよ、わたしと同じように。成功なんていらないってさ。早く気づけよ。わたしのように時間を無駄にするなよ。若さは才能かもしれないけれど、大概は気づかずに持て余してしまうもの。まあ、それだから若さっていいんだけど。つーか、50手前のわたしでも、まだまだ若輩者ですからね。90、100になっても生きていれば、永遠に若い人。遅すぎることなんてないよ。年配になっても「夢はなんですか?」って質問に、即答できる人でありたい。その夢に向かって努力してない人でいたいよね、自然体でさ。◆◆◆
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