おどりばとサヨナラ

住人

今後、どう生きたいか、という記事をnoteに書いた。「自分に対する誠実さ」を大事にして生きたい、という内容の文章だ。たぶんこれ以上のことは考えられない、というくらい、考えた。考えたかったから考えた。

「自分に対する誠実さ」は下記3点が内包されるものであり、自分に誠実さを向けることは「自分を生きること」に繋がる。

・ここだけは譲らないという線引きを守る
・自分の気持ちに嘘をつかない
・自分を卑下しない

「人に対して誠実でありたい」よりも
「自分に対して誠実でありたい」
それが自分を健やかにさせる。

5000wat「誠実」より

今年、人との関わりの中で思い悩むことが多く、体調を崩しがちだった。そんな僕が自分なりに出した結論だ。

記事を書いた後にも考えた末、思考の最終終着点は「好きに生きればいい」になった。たしかに、自分に対して誠実さを向けられている時は、好きに生きている。行動理由が「自分がそうしたかったから」になるし、相手に何かする時も「自分がそうしたかったからそうした」になる。とても単純だ。「好きに生きればいい」と思って生きれば、悩んでいることから逃れられる。そんな気がした。

そして、新たな疑問が湧いた。好きに生きればいい、ということは、犯罪をやってもいいし、誰かを傷つけてもいい、死んでもいい、ということなのか?人間の判断や行動に良いも悪いも本質的には無いはずだ。

仕事中も考えたが、答えは出なかった。


疑問が湧いた日の帰り道、なぜだかわからないが、死にたい、と思った。別に落ち込むことがあったわけでもないし、本当になんでかわからないけど、シンプルに死にたいと思った。今までいろんなこと乗り越えてきて、どう生きたいかを延々と考えて文章を綴ったばかりなのに、こんなにすぐ死にたくなってしまうのか、と激しく落胆した。

自分のことが怖くなった。
怖くて怖くて仕方なくなった。

帰宅しても、死にたい、は消えなかった。「ご飯食べる」「風呂入る」「スマホみる」等のボタン(選択肢)の横に「死ぬ」のボタンが出現してしまった。それも、今すぐにでも押せるような場所に。

「生きたいと思ったばかりなのに、急に死にたくなって、いますぐにでも死を実行しそうだ、自分のことが怖くて仕方がない」って、こんな意味のわからないことが起きてしまった。不安で押しつぶされそうだった。


翌日、会社へ無理矢理行った。その日、仕事終わりに予定があった。同世代の人が集まる場に、久々に参加することになっていた。不安だった。こんな状態の僕が、その場にいていいのか。

体調を崩している間(春〜秋)、物事をテキパキと進めたり動いたりする元気を失ってしまった。そんな自分のことをゆるせなかったし、「ゆるされない存在」だと思ってしまっていた。時間が経つにつれ心身ともに回復したが、一発で逆戻りしてしまった。そんなかんじだから、人と会うのがとんでもなく不安だったけど、「行きたい」が勝ったから、勇気を振り絞って、足を運んだ。

しばらく顔を見せていなかった僕に対して、みんな、あまりにも自然に接してくれた。その日は所属している団体が主催するイベントだった。今まで関わった中で、一番楽しいと思えるものだった。新しい繋がりも、先の楽しみな予定も、たくさんできた。

帰宅後「行ってよかったなぁ」と振り返った後、「死ぬ」のボタンがどこかに消えたことに気づいた。







今年、いろんなことに気づいた。

自分に対する誠実さを失う、要は、他人に対して誠実であろうとするあまり自分の気持ちに蓋をし続けると、人は自分を見失ってしまう。何者でもない他者が、怖い存在になってしまう。生きることが、怖くなってしまう。自分のことを信じられないと、他人のことも信じられなくなってしまう。恐怖を生み出しているのは、紛れもなく自分自身なのだ。この世界は客観的に見たら人と人が生きているという事実しかない。そこに意味付けをしているのは人だ。

体調を崩している間は自信がなくなっていた。それをひとりでなんとかしようと思っていた時期があったが、それはとても難しいことだった。自分だけでは、自分のことを信じることなんてできない。そんな時に救いとなるのが、他人の存在だ。「自分に対する誠実さ」を保ちつつ、「ここにいてもいい」と素直に感じられる他者の存在、あるいは居場所が必要だと思う。過去の経験から成功体験を思い返し自分なりの法則を編み出すとか、創作(本、文章、映画、音楽など)に触れる、とかでも良いんだけど。。やっぱり他人の存在が必要だ。今回だって、イベントに顔を出さなければ、僕はどうなっていたかわからない。

自分以外の存在がいるから、自分だけでは手に入れられないものを得ることができる。

また、自分の中にも居場所をつくる、という考えも身につけた。

「ここにいてもいい」の正体は自己愛なのかもしれない。自分という存在を認めること。僕はそれを友達や居場所に求めていたが、いまは自分の中にも居場所をつくろうと思っている。

ありたい姿である

そのために必要なことを考えて取り組んで、理想を目指す

その過程や感情を自身が認める

頑張った自分を癒すために、自身を心地よくする手法を用いる

自身を健やか保つ

やりたいことをやる

この全てが自己愛に通じていて「ここにいてもよい」と自身を認めることにもなるんだと思う。

ワタナベ 「ここにいてもいいんだ」より

長野にいた頃から「居場所」について考えて、「場づくり」をして、地元に帰ってもそういうことに関わっている僕が、自分の中に居場所をつくる、という考えを身につけることができた。自分らしい帰結だと思う。

もう、これ以上の気づきはないな、という段階まできた。「おどりば」に入る前から、ずっと、ずっと、自分と他者について、延々と考え続けた。これ以上は堂々巡りになる気がしている。





この前「死にたい」と思ったのは、もうこれ以上は考えられないな、と悟ったからなのかもしれない。僕は悩みや困難に対して向き合って乗り越えたいと考えるタイプの人間で、考えることが好きだ。ターゲットが自分自身である「おどりば」で、僕は「ひとりだと考えるのが難しいことに向き合う」をテーマにしてきた。もうこれ以上は考えられない、向き合えない、ということは、自分と「おどりば」との距離が遠ざかることになる。きっと、寂しくなったんだ。「おどりば」が遠くなってしまうことが。



今日は、おどりばに、サヨナラを言いに来ました。

嫌いになったわけではありません。
おどりばという場所が大好きです。

みんながみんな、過去や傷、自分と向き合って、文章にしている。

すごく、すごく、人間らしい。

そういうところが、好きです。

僕は7歳頃から人と考えが違っていて。たくさん悩んで、苦しくて。「自分はおかしい」「生きるのに向いていない」とずっと思い続けてきた。そんな僕にとって、ここにいる住人は、とても身近で大切な存在だと感じます。

記事がなかなか更新されなくなってからも、住人の記事を毎日読んでいました。平均すると1日5記事は読んでいた。ただ、一方的に、好きでした。

これは恋ですか。
恋だよね。

でも、これは、一方的な片思いでした。

今日は、ちゃんと、失恋しにきたんです。

今、おどりばと同じくらい好きか、それ以上に好きになれるものを、僕は探したいと思っています。そして、今の自分なら見つけられると信じています。信じる勇気を持つことにしたんです。

それでも、好きなことに変わりはないので、Twitterのタイムラインで新着記事が流れてきたら、きっと読みます。もしかしたら、コメントするかもしれません。ですが、毎日毎日記事を読むことは、もうしません。

おどりばとは、恋人ではなく、良い友達でいたいです。だから、すこし、距離をとることに決めました。

出会えて本当によかった。
本当にありがとう。


ここからは、読んでくれている人たちと、住人と、運営に向けたメッセージです。

「自分に対する誠実さ」を、どうか大事にしてください。ここだけは譲らないという線引きを守って、自分の気持ちに嘘をつかないで。そうして欲しいです。

自分の気持ちを人に伝えようとする場合、勇気が必要だと思います。怖いのもわかります。それでも「自分に対する誠実さ」を大事にして。気持ちを伝えても、自分自身を自身たらしめる芯と、相手が相手自身をたらしめる芯は、ちゃんとぶれずに折れずに変わらずちゃんと保てる。信じてください。

伝えないと、届かないし、何も変わらないから。

…と思ったけど、伝えても、伝えなくてもいい。自分を守ること、を第一に考えてください。


僕は好きに生きることにしました。楽しいとか、こうしたいとか、こうありたいとか、もっとそういうのを今は見つけたいと思っています。「自分に対する誠実さ」を保って、それで人が離れても結果を受け入れて、残った人と自分を大切にすることに決めたんです。

自分の気持ちに正直に生きていい。それに気づいたから、僕は筆を置くことにしました。

光り輝く人生より、深海の奥底にあるような気持ちの方が、美しい。僕はそう感じます。

ここにいれてよかった。


じゃあ、さようなら。


最後に、最後なので。

【 今日の一曲  】
バラ色の日々 / THE YELLOW MONKEY


僕がこのバンドを好きになったきっかけの曲です。人生で初めていったライヴがTHE YELLOW MONKEYで、それが2016年でした。24歳だった。バラ色の日々を生で聴きました。生きたい、と心から感じたことを今でも覚えています。

そこから、多くの人と出会うことができました。
心を許せる人とたくさん出会いました。

そうした人たちのおかげで僕は今生きています。

ワタナベ

新潟県上越市生まれ。THEYELLOWMONKEYが好きです。

プロフィール

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