p21:通行人Cの私へ
「人生という物語の主人公は君だ」なんて言葉を耳にしたことがあるが、そんなのは綺麗ごとだ、まやかしだ、と思う。私は自分を主人公だと思えたことなんて、人生で数回しかない。一方で、「主人公じみた人」は私の周りにたくさんいる。
容姿に恵まれて卑屈になることなく育ってどこにいても愛されるアイドルみたいな友達、文学を愛していて、文章に愛されていて、好きなことを仕事にして好きな場所で生きている後輩、いつも明るく笑顔で前向きで、素敵な配偶者さんに出会って、どこにいてもやっぱり笑顔でいられる先輩、歌もパフォーマンスもできていつも人の輪の中心にいたサークルの人たち。
人生という物語においてきちんと主人公になれている人をたくさん知っている。かたや私は、全然主人公じゃない。おそらく誰かの引き立て役にもなれていない、せいぜい通行人Cみたいな存在だ。
すごい人になりたかった。でもすごい人ってなんだろう、って考えたら、自分で言い出したくせによく分からなかった。
今は、すごい人って「主人公になれている人」のことなんじゃないかと思う。
今の私は、主人公になれない。
何の努力もせず、人のすごいところをわざわざ見つけ出して羨んでいるだけ。比べて、自分を下げて、苦しくなって、被害者ヅラしているだけ。
もし私が天才だったら、もし私がフィクションの世界の本当の主人公だったら、努力なんてしなくても突然才能に目覚めるのかもしれない。目が覚めたら、ものすごい美少女になっているかもしれない。でも、何度朝を迎えてもそんな日はやってこない。
「人生という物語の主人公は君だ」なんていうなら、私のことすごい能力者にしてくださいよ。頭からチェンソー出てきてくださいよ。
「人生という物語の主人公は君だ」という言葉はまやかしだと思う。でもこの言葉には続きがあることを私は知っている。
人生という物語の主人公は君だ。だから自分を、毎日を大切にして生きなさい・・・
私は主人公じみた人間ではない。それは残念なことだけど、もっと残念なのは、そんな自分を、毎日を大切にできていないことなのかもしれない。私を主人公にしてあげていないのは、私自身なのかもしれない。
拝啓 悩める私へ。私のことをもう少し大切にできませんか、人生という物語の主人公にしてあげられませんか。
寝ても覚めても頭からチェンソーが生えてくることはないので、通行人Cの私でも主人公になれる方法を、見つけてみたい。
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