吸血鬼は絶対いるッッッ!

住人

鏡に映らない。光を嫌う。そして、霧のようで、死ぬことなく永遠に生きる。

吸血鬼。

滅びたか。あなたは信じるか? わたしはいるって信じる。

吸血鬼の小説を書くために、調べ始めてみたら面白くて、想定外にド*ハマり。文献を漁り、関連の映画を見まくり、ハロウィンはとっくに終わったからコスプレできねえなと悔やんだり。ゾンビがポピュラーになる遥か前から憧れて、愛するあまり、演じた経験もろくにないのにゾンビ役を志願し、舞台に立ったこともあった。今はそれよりも強い気持ちで吸血鬼を演じたい。

ゾンビの魅力は弱すぎて悲しいところ。吸血鬼の魅力は強すぎて孤高なところ。それは結局、悲しい存在だってことだ。物哀しいものに、昔からわたしはなぜか惹かれる。自分自身、精神病で弱くて悲しいし、中学時代はいじめられていたから思い出すと悲しくなる。実体験が悲しみに共感してしまうんだ。吸血鬼が孤独のあまり、枯れた哀愁を醸し出していることからも目を離さずにはいられない。

吸血鬼がゾンビと違うのは、最強クラスの悪魔であること。腕力、聴覚、視覚、嗅覚、変身術、魔術、素早さ、そして霧に包まれた謎っぽさと、究極のエロティシズム。どれをとっても≪ほぼ≫完璧で惹き付けられずにはいられない。恐ろしいはずなのに、殺めてほしいって願ってしまう。

ヒット作の映画『トワイライト』シリーズに出て来たヒロインの恋人である吸血鬼は、完全無欠すぎて萌えなかった。さきほど≪ほぼ≫完璧と記述したのは、≪ほぼ≫が肝だからだ。目の前にしたら成す術のないほどの恐ろしい存在なのに、ニンニクを嫌がるってマヌケじゃないですか。飾りの十字架にビビって後退るって、情けないじゃないですか。西洋の文化では、ニンニクも十字架も聖なるものみたいだから、筋は通っているんだけど。そんなところがかわいらしくて愛おしい。

首筋を噛むシーンは狂おしい。激痛なのか、恍惚なのか。噛まれたらおしまいだからこそ、噛まれたい。できれば美女の吸血鬼に噛まれたいのが、おじさんの願望だけれど、若くて美しければ男性だっていいよ。萩尾望都先生の『ポーの一族』に登場する美男子エドガーにがぶりとされたい。って、わがままかな。

話は逸れるけど、『ポーの一族』の存在は知っていたのに、少女漫画だし≪読まず嫌い≫してて読まないでいた。妻が好きで、彼女の本棚に21年も大切に仕舞われていたっていうのに。で、たまたま資料としていたある本のあとがきに、「吸血鬼の物語『ポーの一族』では……」っていう一節に触れて、≪あちゃー、そうなんだ~≫ってなって。笑われる話だけど、萩尾望都先生が吸血鬼について描いたなら、それを越えられないじゃん!って真剣に頭を抱えた。手塚治虫先生や太宰治と勝負するような負け試合じゃんかよってね。芸術を書くなら、避けて通れない道だし、対決を恐れないで進む勇気が必要。それに勝ち負けじゃないから、自分色の吸血鬼を書けばいいじゃんね。今、読んでいる『ポーの一族』は美しく悲しい物語。とても肩を並べられると思えないが、諦めたら試合終了ってわけだから、気負わずに書きますよ、ええ。

永遠に生きたくはない。太陽光線を浴びて爆死したくもない。そして何より人を殺めてまで生きたくはない。人間一本で、人間らしく、意地汚く、泥臭く、みっともなく、丁寧に誠実にやさしく生きたい。空は飛べないよ。魔力もないよ。それでもいいから全力で人間したい。あと何年生きられるのか、≪明日死ぬのかも≫っていう怖さも年々と降り積もっていくばかり。でもさ、その方が永遠を生きるよりずっと楽だよ。終わりがあるから安心だし、美しい。吸血鬼の美しさは禍々しさ。人間の美しさは儚さ。

最早コロナに感染する可能性は誰にだってあるし、戦争に巻き込まれるかもしれない、交通事故に見舞われるかもだし、ミサイルだって降って来るかもね。それらは悪魔の仕業。悪魔がいるなら吸血鬼もいる。でも、恐れてはいない。むしろ、会いたい。それは動物園の虎に見入ってしまうような魅力なんだよ。きっと吸血鬼はその檻を難なくすり抜けてくるだろう。それでわたしの首筋を噛んでくれたら、「人生破滅するな」って憧れちゃう。

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なかがわ よしの

生涯作家投身自殺希望。中の人はおじさん。早くおじいさんになりたい。

プロフィール

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