人を見送るということ
昨日、叔父さんが生涯を閉じた。
祖父や父に似て、寡黙だけどとても、物分かりのいい人で、人徳のある人だった。思い出せば、小さい頃にGTRに乗せてもらったっけ。また1人、この世界からいなくなってしまった。最期の方は、本当に苦しい感じでもあって、すごくいたたまれないきもちになったけれど、「お疲れ様でした」その言葉が、似合う人だったんだとおもう。
いつの間にか、どんどんと見送る人、になっていく。人だから仕方ないこともあるし、また、自分はそういうほしのもとに生まれていることは、祖父の言葉からもわかっているけれど、いつ何回経験しても、慣れることではないし、慣れていいことでもない。
けれど、こうなってから気づく、ということもあってはならないと、いつも思う。
その人がいたからできること、その人から学ぶこと、本当にたくさんある。いつでも、いつどんな時にでも、憎しみも恨みも妬みも、本当は抱く必要がないものであると考えている。けれど、その要因の元はなんだろう、と紐解いていったときに、辛さや悲しみの元凶に他人を絡ませてしまうことは、多々あることでもある、それはいわゆる煩悩の一つに数えられるのだと思うけれど、「自分自身」の考え方や持ち直しかたで、いくらでも物事は変えることができると、まだずっと信じている節もあって、だいぶマイナスから抜け出してきたな、自分ってすごく、最近は思う。
色々な環境があって、色々なタスクをいろんな形でお下がりの因果としてもらい受けてきたけれど、その中でも、今回の叔父の件は、絵に書いたような幸せ一辺倒ではないけれど、愛と優しさと誠実さに溢れた家族と親族の物語を見ているようで、悲しい涙よりも、本当に労いとやるせなさの涙だったように、思う。生きていく、がこの一面をはらんでいることにすごく理不尽さを感じながら、コーヒーを飲んでいるときの落ち着きでなんとか、気を紛らわせているような節もあって、どことなくアイロニーを味わっている、そんな4月の初旬晦日。
1人1人が重ねてきた年月や物事は着実に進んでいて、本当に尊いなと思う。人生はこれに尽きると思う。
何かにつけ、不平や不満を述べたくなる時もあるけれど、その1つ1つの一面に必ず、尊敬する一点があったり、すごいな、って思ったりする一瞬があったりする。
それを違うベクトルから詰って、非難に変えることは違うと思う。非難する時は、たぶんその人に嫉妬しているだけだと思う。単純にその人になれないために苦しんでいる自分が嫌いなだけなんだと思う。
そういうときに限って、外に自由や解放を求めて、賛同を求めている自分に酔ってしまうんだと思う。そんな自分に気がついて嫌になったりすることもあると思う。でもそれが人生だと思う。
1人1人、見送っている時にそんなことを思っているわけだけれど
生きるの無情さも、面白さも、同時に考えるようなことがたくさん降ってきて、少し狼狽することもある
だけどまた前に進んでいる。今日も、明日も、もっといい日になれと、祈っている。毎日が、少しでも吸収するものが多いように、祈っている、そしてそうなるように思い込んでいる
たくさん想いが重なって、色々同時に考えることが多いから、たまには何も考えないでいてみようと思います。ただ、私が与えられた人生の意味の1つとしての、「見送り」の、1つ1つの行動や予定に、しっかりと隠された意味を感じ取れる人間に慣れるようになるために、ここまでの紆余曲折な人生があると考えている。誰に言われたわけでもない、自分で決めた人生なんだから、何を後ろめたく思う必要もない。後悔するような行動をしたのも自分だから、何も後悔などしていない。そういうことを、背中から全て学びとることができました。
普段、あまり会話しないような人たちだったけれど、影褒めしていてくれることも、信頼してきてくれたことも、何もかも忘れるものか。
いじめられたり、人に言ったらそれは没落だと言われるようなことも、全て自分で背負って生きてきて、今だからそれを経験してきてよかったなと思えることがたくさんあることも、すべて、私の人生の1ページに、
あなたたちがいたからです。本当に、この縁に、感謝しています。
叔父さん、本当にありがとう
いつの日にか、何十年後かにまたそちらで会える日に、その感覚について語り合えるか、もう転生しているのか、わからないけれど
そこに行き着く同じオーラの元にきっと戻るから、そこで答え合わせしよう、そして
残る世代にそれをしっかりと継承しよう。
嫌なこと、辛いことを起こす人がたくさんいる中で、普遍的にみんなが少しでも居心地が良くなるようにと、動けるその力を。
いつでも、どんな時でもそうやって、私も生きていくから、こちら側から、見送りながら
あちら側から、見守っていてね。
10号室 t tatsu
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