フィロゲロス
先日の友人との会話@デニーズ。
オレ「最近、《チャットGDP》が話題じゃん。すべてAIに取って代わるのかとかって。でも、《オレか、オレじゃないか》だけだと思うんだ。今までオレは誰かと競ってたわけじゃない。オレだけにしか書けない小説って何か、挑み続けてきたの。だから相手が村上春樹だろうが《チャットGDP》だろうが、関係ない。『オレはオレに負けるのか?!』って、問い続けて、そんなことはない、己に勝つんだと、それがオレらしさだって、強く思うよ。芸術や《チャットGDP》との戦いじゃないんだよ」
Nくん「ROLAND?! それと《チャットGDP》じゃなくて《チャットGPT》な」
わたしは『穴があったら入りたい』という言葉のごとく恥ずかしい気持ちになり、爆発した。間違いを指摘してくれる仲でヨカタ~。その後も、チョイチョイ《チャットGDP》のことをいじられたり、ミスを自虐ギャグにしたりして、終始和やかな談笑になった。笑いって大事。おいしい食事も大切だけどね!
話題は変わるようで繋がるんだけど。8月、松本でイベントに朗読で出演することが決まっていて、テーマが《笑い》なんですよ。わたしの朗読スタイルは《お客さんに歩み寄らない》だから、笑いとは真逆。せっかく声を掛けていただいたので、出たい! 期待に応えたい! と思うのが人ってモノで、わたしも人間だなあ。ああ、もっと人間になりてえ。
やっぱり脱線します。人間らしい生活はしてますよ。妻と娘に愛され、猫3人を愛してる。幸せかと問われたら幸せだ。でも、こんなに頑張ってるのに&すごく必死なのに、貧困から抜け出せない。なんであんなヤツがって羨むことも多々あるのだ。誠実に生きれば稼げるってわけじゃないらしいね。ずる賢く生きなきゃダメなんだね。もっと家族に楽させたかった。自分が人並みに稼いで、妻の負担を軽減させたい。娘を甘やかして贅沢させたい。「幸せだ」って何度も言うけど、「世の中、お金なのか?」、その問いにうなずく寸前の自分が恥ずかしい。
中途半端に貧乏で自虐ネタにもならねえな。でも笑い飛ばしていないとやってられない。精神病になって働けなくて、主夫してる。「オレ、精神病なんですよ!」なんて初対面の人に言ってみたい。そんなわたしを笑ってもらいたい。でも、冗談のつもりでも、引くよね。精神病は自虐ネタにならない、笑ってもらえない。そこらへんの線引き、塩梅がわからないままだ。だから、自分ではジョークのつもりでも笑ってもらえないことばかり。
わたしを知っている人には《まじめ》《誠実》などと印象を持たれていて、しんどいス。加えて殺人的にコワモテだし、ダジャレも言わなそうな風貌だから。ユーモアのある人だと言われたいんだけどな、伝わらない。朗読のライブでMCしないのは、そういうわけ。人を寄せ付けないオーラを纏っているらしくて、何を言ってもウケない。だからせめて、死ぬ気で叫んでいる朗読スタイルを笑ってほしくて、無様にシャウトするんだけど、ドン引きされるだけね、とほほ。笑っちゃいけないって思われるみたい。あんなに一生懸命叫んでいたら、わたしだったら滑稽だけどなあ。叫びの匙加減間違えているんだな。カラオケで人の知らない曲を平気で歌うから、つまりは《空気の読めない人》なんだろう。
小説でも朗読でもエッセイでも、「なかがわの中側を知ってほしい!」と願ってる。でも、共感力がないので、それを祈る権利すらないのだ。話題を合わせようとして流行の音楽や映画に触れたりしない、あまのじゃく。なかがわの中側は《バカ一直線》です。「お前ってバカだねえ」と言われて生きたいし、「なかがわさんってバカだったね」と言われて死にたい。みっともなく、かっこ悪く生きたくて。ダサいねって面と向かって言われて笑われたい。そう願っていることを浸透させたいね。おどりばの文章からして《怖い人》だから愛嬌持たなきゃだなあ。でも嫌だなあ。
どっちなんだい!
明るく振る舞い、相手を萎縮させないやわらかい雰囲気を持ちてえ。下に見られて、優越感を持たれたって良い。それで笑ってくれるなら。《緊張と緩和》が大事だから《怖そう》と《なんかマヌケ》を明確に。《イカツイ人》っていう先入観を覆したい。新しくて予想を越える言動で意外性、それはおかしみに繋がる。いつだって《おバカな人》と認識されたい。いつも笑顔でいるのは無理。そんなんだから家族を幸せにできねえんだヨ。
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