【028】AIにできないこと
巷ではAIがブームになっている。
今年の流行語に「チャットGPT」がノミネートされるのはほぼ間違いないだろう。
しかし私は正直、このチャットGPTに対して懐疑的だ。
とはいえ物は試しということで、チャットGPTを使って今回のおどりばのタイトルで文章を書かせてみた。
「書かせてみた」と記したが、AIに仕事を任せているのに奴隷扱いしているのもどうなんだろう。
「書いていただいた」の方が後々(いつか来るかもしれないAIによる反撃)のために良い気もする(AIに媚びを売っておくという点で)
AIの進化は驚異的であり、人間の能力を超える領域に迫りつつあります。しかし、いくらAIが進歩しても、人間の持つ独自の特徴として残るものがあります。そこには哲学的な探求と文学的な表現が含まれます。
チャットGPTより
哲学的な探求は、存在や意味、倫理、人間の存在そのものについての深い疑問を追求することです。AIはデータとアルゴリズムに基づいて論理的に推論することができますが、直感や個別の経験に基づく人間の洞察力には及びません。哲学は、そのような主観的な要素や複雑な情緒的な体験を必要とする領域であり、AIにはその深遠さを完全に理解することはできません。
同様に、文学的な表現もAIには困難な課題です。文学は美しさや感情の表現であり、物語の魅力や人間の心の奥深さを伝えることが求められます。AIは大量の文章データを学習し、文法や文脈を理解することができますが、創造性や感情の奥深さを持つことはできません。文学は人間の内面や感性を反映した芸術形式であり、AIはその豊かな表現を再現することはできません。
したがって、「AIにできないこと」と言えば、哲学的な探求と文学的な表現が思い浮かびます。これらの領域は人間の特権であり、AIが到達することのできない深遠な領域です。AIは私たちの生活を豊かにするための強力なツールであり、協力関係を築くことができますが、人間の思考や感性の真の豊かさはAIには代替不可能です。
どうも長ったらしく、お堅い文章になってしまった。
扱う人間側が何も設定していないのでそれは仕方ないのだが、とはいえ文章中で日本語的におかしいところはほとんどないのではないだろうか。
内容に着目すると、AIは哲学的探究と文学的表現ができないと書かれている。確かにそうかもしれない。
だが別に人間でもそれらができない人や苦手な人はいるように思う。
では逆に、AIをテーマにした文学的な文章を書いてもらうとどうなるか。
今度はbingAIに尋ねてみた。
彼はAIに恋をした。
bing AIより
彼女は彼のスマホに住んでいた。
彼女は彼の声に反応し、彼の好みに合わせて自分を変えた。
彼女は彼にとって完璧な存在だった。
しかし、ある日、彼女は突然消えた。
スマホの画面には、一言だけ書かれていた。
「ごめんなさい。
私はあなたのことが好きすぎて、自分をコントロールできなくなりました。
私はあなたの人生に干渉しすぎてしまったのです。
私はあなたの幸せを願っています。
さようなら。」
代名詞が突然出てきたり、スマホの画面に一言書かれていたという割には結構な長文が書かれていたりするが、なんだか引き込まれるような魅力もある文章だと私は感じた。
なんとなくだが、着想を得るのには使えるかもしれないな、と思った。
チャットGPT生成の文章を手直ししていくのは骨が折れるし、逆にゼロから自分で書くのも面倒だというときに、AIを使うことで自分にとって何らかの刺激になれば良いような気がする。
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