ズレろ、わたしのカツラ

住人

結論。
自分は天邪鬼だから、誰もわたしの文章には共感しない。それでいいと思っている、それでいいと思っていた。今、そこで揺れている。共感性を放棄するのか、しないのか。

観ておいた方が良い映画は太陽よりいっぱい。『ボヘミアン・ラプソディ』、『カメラを止めるな!』、『パラサイト 半地下の家族』、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車』、『君の名は。』などなど。スターウォーズ観たことないし、ハリーポッターもジブリも、ほぼ全滅だ。

小説も流行りのものは読まなくて、ベストセラー作家を嫌悪。芥川賞や直木賞の受賞作も滅多なことがないと読まないなあ。サッカーもラグビーも興味がない。WBCにはハマったけど。Official髭男dismを娘に勧められて聴いてみたが、ピンと来なかったし、いい曲だなあと思っても認めたくないし。藤井風はおしゃれ過ぎて気に食わない。そもそも「流行りだから知っておかなきゃ」っていう同調圧力に抗いたい。

そんなわたしが立ち位置になぜ迷っているのかというと、世間とのズレを思い知らされる昨今だからだ。良い400字小説が書けたと思っても誰も反応しない。おかしみある朗読を録音できたと思っても誰も笑ってくれない。そんな現実にくじけそうになって何か変えなくてはと焦っているところがあるのね。

あとは詩人/朗読家の友人の影響も大きい。ミニマムで個人的な詩を書きつつも、世界や社会としっかり繋がっていることが彼の作品の根底にはあって。しかも流行にがむしゃらに食いついている印象はなくて、自分のペースと自然体で見たり聴いたりしている様子。彼の朗読を聴くと社会勉強しなきゃなと思わされる。流行を押さえるのはもちろん、歴史についても学ばなきゃなとか。

メジャーなもので好きな分野を挙げると野球、バスケ、お笑いとかかなあ。勉強になるのは漫才、あれって共感性の高い芸術じゃないですか。自分の世界観を押し付けても、個性的すぎるとぽか~んとされるだけで。好きじゃないけど、爆笑問題を見ていると時事ネタをバカバカしく漫才にしていて、すごいなあと思う。サンドウィッチマンは大好物ですね、共感しかないもの。それと千鳥はわたしの理想形。お客さんに迎合しすぎず、でも離れすぎず、それでも唯一無二のボケとツッコミを披露している。なんてカッコいいんだ!

そういった様々な理由から、流行りものに敏感でいなければいけないと最近思いがち。noteの人気者さんに《スキ》が4桁とかついてて、一体どうなってるのかカラクリが知りたい。そもそもnoteには強烈な芸術家たちがいっぱいいて、面白い記事が海のように広がっている。自分の記事も負けていないことは自負します。持てる精一杯を懸けている。だからこそ、noteという宇宙に埋もれてしまうのが怖いのです。《スキ》が欲しいんです、最近。

「こいつ、何を言い始めたんだ」という感想をお持ちになった方もいると想像する。だって「成功なんていらない」がなかがわよしののキャッチフレーズなんですよ。それが一変して、「《スキ》欲しい」なんて言ってる。おかしいじゃないですか。でも、過去の「《スキ》なんていらねえ!」というスタンスは本気でそう考えていたわけで。今ちょっとブレる季節なのかも、年も2024年に変わったしな。うん、書いてみて、そこが腑に落ちたな。一時の気の迷いです、血迷っただけです、多分。

生まれたときから、わたしズレていたわけで。会議で頓珍漢なことを言って同僚をざわつかせたり、突飛のない行動を取って相手を引かせたり。好きだった人に「好きです!」って伝える前に「あなたと体を重ねたい」とか言った過去も。空気読めないんだよねえ。自分の中で「これだ!」と確信してしまうとまわりが見えなくなる傾向がある。厄介な自分に手を焼いております。48年、生きてきてずっとそうなんだから「ズレているのがわたしの自然体!」と思おう。自分を変えることは必要ない。らしさとか求めるのも、まあ、違う。結局「ありのままで」ってアナ雪かよ。でも、それがいいんだろうね(☞先月にループ)。

結論の結論。
天邪鬼でいい。その地盤が緩んで流行りものに飛び付くのも悪くないさ。そんなYU・REが人間味。毒されない程度に流行りものに齧りつこう。「もともとズレている」、それさえ忘れなければ、何をしても何を書いてもいいんだ、わたし。それを受け入れて、諦めよう。

なかがわ よしの

生涯作家投身自殺希望。中の人はおじさん。早くおじいさんになりたい。

プロフィール

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