32
1月8日で、32歳になった。
子供のころに想像していた大人とは、本当にかけ離れている生活をしている。
というより、まだ自立しきれていない、というような、ある種様々な感覚や状況と
共存をせざるを得ない環境にいるから、というところはもちろんのこと、
私でしか経験しえないことを、あらゆる面で体験しているような、大人。
よく、思考は人生を体現するというけれど、そのとおりだと思う。
お金をめちゃくちゃ稼ぎまくる人はそのように20代前半からいきぬいて、
今もそのフェーズにいると思うし。基本は、夢をもってそれを実現するように
人は生きることができるのだと思う。
良くも悪くも、ふわっとしている面はありながら、ここは、というところを
兼ね備えている自分だけれど、そこに、いわゆる一般的な大人・社会人に
通ずる冷酷さは持ちたくなくて、ある種少年のころのような純粋に、何かを
追い求める情熱的な野心をきれいごとや理想論で追い求める癖のある自分には、
経営者の建前や偽善が妙に鼻について見えるし、同時にその割り切りや
やらないこと、の取捨選択や勢い、「社会・政治」的な立ち振る舞いやいでたちは
すごいな、男はこうなるべくものだとして地方の周囲の目はあるのだろう、ないし
家計を成り立たせるものはこうあるべき、そうでないとなんとなく野望なしに
出世し早い者勝ちで学生のころから正統派で生きている立派なひとたちのように
正当だが一般的な地方の「成功者」としてあるべくなのだろう、と最近はよく思う。
私の生き方を否定するならば、それをしてこないという選択に尽きる。
冒険心からする失敗というよりも、人生の先を見て、暗がりに転がる
哲学者の知恵をかじりながらに得てしまったからこそ、その真髄の1つが
目に見えるからこそ、建て前やテイで生活することの愚かさや人間の
はかれなさ、約束のもろさを経験してからの人に対する不信と、はかなさを
うまく利用してきてしまったのが、敗因であり失敗、ということになろう。
その不孝の結果として、見方によっては、この歳で親を失うことになってしまったのだと
自戒の念を積んでも、時間も命も、かえってこないことが何より、
非常にやるせないことだと思う。
自己肯定をするのであれば、かねてから見送り人としての人生の役割と、
大器晩成・すべての成功を失敗や回り道から学ぶ私の人生論から、
落ちるところまで落ちた私が、社会でどのように自分を活かしながら
感謝や今ある物事に囲まれつつ、いわゆる成功的体験ではない形で
自分のライフスタイルー生きざまを達成していくのか、未来が無限に広がり
高校や大学から貫き通している、非凡化・未踏の現実を作り出す力をどこまで
通用させられるのか、どんどんとその活躍の場が近づいている、もとい
自分の力で勝手にそれを引き寄せている、といったところで、かつての
経験を発信し、回顧し、自省し、自己研鑽していく、そんな人生である、という
ところか。
おいしいものを食べ、生きるために最低限度ではあれど、
居住空間があり、自分の不自由なく生きれることは、社会にでて
何かを追い求めているほど、忘れていることだけれど、ニュースで天災や
慣れ親しんだ顔の訃報、なるほど、毎朝、仏壇に手を合わせるたびに、
その命の脆さや、生死の紙一重の奇跡に、人生の3分の1のページを
閉じ終わった付箋の数々を見返しているような、そんな感覚は、すぐそこにある。
どれも正解で、答えはそれぞれの人生の、視野の中にあるわけで
私自身、ここでくすぶる予定もなければ、こんなはずではなかった。
けれど、今ある環境も、悪くないと思う。
気づけること、経験すること、それはだれしもに私の邪魔はできない、
そのことは、改めてこの期間-32までの年月を通して、
再考したところである。
はみ出たものは、すべて杭が打たれる環境に、もとより嫌気がさしていたけれど
もちろん、そこに最低限のリスペクトや礼儀は必要だけれど
もともとの私は
そんなの関係ねえ
その一心で、何事もがむしゃらにやって、なんとかやりぬけてきた。
反対する声は、もちろんそんなことをやったことない人の声。
でも、そのどれもが障壁ではない。いわゆる、正論、冷静、その大切な
伸ばされる手は、重要であるから、みきわめなければいけない。
けれど、何歳であるからこうだ、両立や限界はこうだ、という生き方は
もとよりくそくらえだった私が、押し付けられていた環境から脱せる
そんな年になることを確信している。
その光源は、私のたゆまぬ努力と、本気になったときの継続力にかかっている。
長距離を常に走り続けるのが大変だから、長く早く歩いてみるその
冷静さを取り戻し、かついつも忘れないようにして、いつまでもチャレンジの
みのりのある人生でありたい。
その境地に、常にいたような感覚で常に未熟な自分に
嫌気がさすこともしょっちゅうだけれど、今となればそんな
嫌いなところの自分も、努力で、ありふれ人とはまた少し
隔するオリジナリティも大切にしながら、かつ
正攻法をとことん貫く従順さもしっかりと兼ねて
32歳を突っ走ろうと思います。
人生は、常におどりば、の連続であると自負しています。
そんな、おどりば
に、今もこうして携われることが、何よりの幸せの1つ。
たくさんの人と出会い、関わりの場を広げ、
古き良きを繋ぎ、そして今できること、やりたいこと
直観、自分を信じること、突っ走ることを常に
生きていきます。
Take it easy , peace for everyone .
Thanx ; by room No. 10 T tatsu
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