10歩10歩

住人

書いている今日は、僕はまたおどりば、にいる日々のようで。

しばらく、書くことすらできなかったけれど、ここに至るまでに

また、新しい出会いがたくさん生まれた、そんな月日。

必ずしも、おどりば、にいるときは、地団駄踏んでいることばかりではなくて、このおどりばにいる最中こそが、まさに必要不可欠であることも多々ある、ということが今までにもあって。今回は特に、その中でも、本当に多彩で、本当に数多くの人たちに出会うことが出来た、まさに新しい階段の分かれ道としてのおどりば、を経験することができたように感じる。

また、今年も桜を見ることが出来たね

亡くなった祖父が、終焉の地に選んだ松本の桜は、毎年見に来ているけれど

今年は、思いをはせる人がまた増えたこともあって亡くなった祖父が言った、あと何回桜が見れるかな、とか父とともにいたころに、桜を今年も見ることができたな、というしみじみした感情がまたもくもくと湧き上がってきて、この下に眠る悠久の方の思いや歴史とともに、また何をも言えない感情が巻き起こるとともに、なんだかんだ松本という地に何年もいたことがあるのに、ここだけは来なかった理由は特になかったな、とおもったりもしてまた、思い出に浸った。

はかない桜だけれど、命の起承転結をとてもきれいに表してくれるものだと思う。きれいな面だけでなく、花が散ればまた青い葉っぱがでてきて、今では力強さすら感じるほどの景色に。きれいな一面の裏に、はかなさがあって、その裏には、また強さがあって、まさに七転び八起き、そしてまた頃合いを見計らって自らが輝く、一番輝けるタイミングを見つけて命を誇る。その姿に感動するあたり、そろそろ花鳥風月の花をめでるような歳になってしまっているのか!?と思い、ぞくぞくして現実に戻る。

 いろいろあれども、今年も、また桜が見れてよかった。そう、つくづく思う限りで。

 状況と、縁と、様々な要素から、1つの道を取捨選択することの難しさと、尊さをこの年代になって、改めて感じることになるとは思わなかった。ただでさえ、自己肯定感が低い中で、その未来に向けて現状の素質をはっきりと見てもらうことが出来る経験が出来たのは、今までの自分の、押し込めてきた本質のようなところをしっかりと、向き合って、「対話」できたからだと、今では思う。

でも、今年は、山梨で、長野で、桜を見ただけではなくて、東京でも数多くの桜を見ることが出来た。それは、植物の桜ももちろんのこと、自分の人生においての桜並木の数々を、経験できたことも大きい。実際に、進む道は1つしか選ぶことができなくて、また、どの道も未知ではあるが必ず更なる飛躍を約束されるような、素晴らしいものであったことは確かであった。

 面接や、その他かしこまる場面だと、どうしてもわたしはHSPの気質がありすぎて、他人の顔色や状況を把握しすぎるような気質があったり、その場の雰囲気を壊さないようにして真実や突き進めるべき場面で躊躇してしまうことも多々あった。しかし、そんなことはおいておいて、自分が信じている道や人生で達成したいこと、伝えたいことのビジョンをしっかりと全面に出すことが、間違いではなかったのだ、と再認識できた今回の「おどりば」期間は、間違いなく、前進のためのおどりばではなく、前進しながら次々におどりばを経験できた、そのような感覚を改めて認識することができたような気がした。

 まだまだ、望んでいる人生には程遠いけれども、決して後悔をすることはない。…というと少しだけやはりもっと蓄えがあったらなあ、とか、我慢は必ずしも惡ではなかったのかなあ、とかいうところもあるけれど、しかし、人生の経験値や今考えうる頭の中の状態に関しては、決して後悔していることはない。むしろ、強がりかもしれないけれど、いわゆる、順風満帆を選んだ(ある人の言葉を借りれば、潔白、であり汚点、作らない人生を歩む人)人生よりも、濃くて、また見れないサイドにいる人の気持ちや自分がそのような状況にいる際に何を考えるか、何をするべきか、何をしなければいけないのか、しなくていいのか、等の当事者意識をあらゆる観点から考えることができている、そんな人生の連続で、非常にいいものだと思っている。そして、スタートが遅い分、遅くに様々な分岐点や花道が待っていて、またその道もさらに分岐点が多くて、選び放題で、さらにさらに、もう選択肢がないと一般的に思われる状態で、とり得る選択肢を生み出すことが今後さらにできる、というむしろ超ラッキーな立ち位置にいることには、まだ少し気づききれないけれど、そうであるとは確信している。

 絶対に他人と比べてしまうたち、本当に何とかしたいけれど、その中で、私の中にある負けん気がものすごくまた闘争心を燃やしている。いつぞやから、今までの自分よりも継続をすることが圧倒的に難しい性格になってしまったけれど、それは心理学でいういわゆるアンカリング効果だったりするわけで、対比的なピグマリオン効果を積極的に信じ込めるように、そしてそれが必ず実現すると信じて、これからは、

10歩10歩、進んでいこうと思う。

亡き父の誕生月に寄せて。

10号室 t tatsuでした。

t tatsu

山梨在住。あっちいったりこっちいったり、浮き沈みの激しい人生。音楽、本、映画やことばを好みます。多趣味多忙が代名詞。 …「あたりまえ」のことは、そうでもない...

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