何万光年だって書く。

おどりばに入居してから丸5年。ほとんどの人が立ち去った。〚人生の階段を駆け上がる過程で、時折差し掛かる踊り場〛がここだから、そういうものかもしれない。仕事が忙しくなったのか。家族ができたのか。めでたいことでいなくなったのならウレシイ。わたしは踊り場でひとり逃げ遅れてしまったのだろうか。いや、違う階の踊り場にいつの間にかいる。いつ移動したのか覚えはない。ここからの風景も変わらないが、確実に違う階で、できれば上の階にどんどん向かっていると信じたい。ここの最上階にラスボスがいて、そいつを倒さないとクリアできない設定でも、戦うつもりは毛頭ない。リラックスして、また次の原稿を書きたい。実はおどりばなんていう集合住宅はないんじゃないか。つまり、書いたとて行き着く場所なんてないの?それに気がついて、ほとんどのみなさんが抜けてしまったのでは?わたしはバカなのか。マヌケなのか。 ひとりで、誰も読まない文章を綴るなんて。わたしは書き続ける。だって書くのが好きだもの。人生と時間と家族を犠牲にしても書きたい。カッコつけるなら書くことで人生を棒に振っても構わない。だからわたしはこの5年欠かさず毎月エッセイを書き続けてきた。内容は似たり寄ったりだ。でも何度だって書きたい。それでイイ。たまに新しいテーマで書いたりできれば◎。
ということで早速、先月の話の後日談だが、ガン再発の父は88 歳の高齢ということで抗ガン剤を投与しても効果が出るか未知数という主治医の判断から経過観察となった。抗ガン剤を拒否していた父。望み通りになったので、良かったということで……。母が面倒を看てくれているから、彼女の負担を減らすことが息子のわたしができること。父はいつか死ぬ。近い未来に亡くなる。覚悟はできた。後悔が少しでも軽減されるようできることはしておこう。父に対してももちろんだが、母にもだ。母は父の死が近いことを見ない振りしている。事実を伝えた方がいいのか。そんな残酷なことはできない。とすると父が亡くなったら不意打ちを母は食らうことになるかも。むむむ。でも、わたしは母に何も伝えない。無責任とか無慈悲とか言われても、わたしは母のしたいようにしてもらう。それが愛。
父がただならぬ状況にある中、わたしは不謹慎ながらも日帰りの東京旅行へ。5/23金。カマシ・ワシントンのライブが目的だった。何年か来日を待ち詫びていて、ようやく参戦できた。スバラシイ演奏、7人のサポートメンバーを従えてのライブ。皆、優秀なプレイヤーであり、人格者であり、同時に逸脱者であると感じた。音に深み、味わい、温もりがあり、人間味が各々にあった。ある時はサポートに、ある時は前に出てその人間味とスキルを〚吐露〛。カマシ・ワシントン本人も完璧ではない、どこか欠落している人だと感じたが、だからこその凄みある、かつ、やわらかな人間味なのだろう。何が言いたいのかというと、〚お前はお前のままでいい!〛という演奏だったのであります、それを貴様に伝えたい。人生で3本の指に入るであろうライブ。いや、若い時や子どもができてから、それぞれ感性が違ってきて、今から比べられるものではないけれど。うん、いつだってその日の体験が過去イチのエクスペリエンスだ!そう思って貴重な日々の暮らしを送っていきたい。そして幸せを逃さないで感じたい。
多分、かつての同じ階の踊り場に今いない。仮に最上階があると設定する。そして上に行けば行くほど幸せを感じられるとする。だとしたら、昇っていくことを目標とするよね。だから、わたしは書くことで達成しようとしてる。でも、気をつけなければならないことは、アプローチを少しずつ変えていかないといけないってこと。野球のバッティングも日々同じではいつか抑えられてしまうでしょう。バットの軌道を変える、打席でのルーティンを変える、練習へのアプローチを変える、そうやって変化しないとネ。わたしは野球少年だった。だけれど、20年前に草野球選手を事実上、引退してしまったわけで。だから、現役の中高生たちに最先端の技術は教えられない。奇しくもわたしは精神病だから、メンタルの持ち様のことは伝えられるかも。これに関しては日々方法を変えて自分と向き合っているので。野球の楽しさも伝えたいな。
ここ、おどりばにまだ籍のある方、どうかこの場所の貴重さ、必要性、自由さをいろんな方に伝えてほしいのだがー。もういなくなってるのなら、仕方ないのか。ひとりで何もできないけれど、わたしは続けることの大切さと、書くことの面白さを伝えてゆきたいと考えています。たとえこれを誰も読まなくても。宇宙の片隅で何万光年も誰かを待つように。
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