大人になるということは
「大人になるってどういうこと?」
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真剣に頭を抱えた日を覚えている。
それは短大の卒業式直前、4歳年上の友人と大喧嘩した日のことだ。
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原因は些細なことだったと思う。よく行く飲食店で偶然会って、そしたらなにやら私には内緒の会話をしていたらしくて。まわりの大人には話すのに、私にだけ内緒なのがすごく悔しかったみたいな、そんなこと。
「年下のお前に話してもしょうがないだろ」
–その一言がものすごくショックで。私は彼と同じ土俵に上がることを許されていないんだって、切なくなってしまって。
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それで、
それで、酷いことをたくさん言った(その彼の元恋人の話まで持ち出して、その子の怒りを勝手に代弁してみたり)。
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あまりに勝手で幼稚な話だが、私は、彼に怒りをぶつけてほしかった。
私の発する言葉を耳に入れて、咀嚼して、理解して。眉間に血管を浮かせ、肩をわなわなと震わせ、机に強く手をついて、唾を撒き散らしながら、みっともなく怒ってほしかった。
そんなことで同じフィールドに立てるような、一方的に突きつけられた「大人と子ども」とか、「社会人と学生」とか、そういう壁が崩れるような気がしていたのだ。
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もくろみどおり、彼は怒った。当たり前だ。自分の相談事になんら関連性のない女が、癇癪を起こしてあることないこと喚き散らしているんだから。気を悪くして当然だ。
彼は店から出て行き、私はまわりの大人からめちゃくちゃに怒られた。
「自分のことと相手のことを混ぜこぜにするのはよくない」とか、「酒の勢いに任せて言いたいことをただ言うだけじゃダメだ」とか、そんなことを懇々と説いてくれた。
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正直よくわからなかった。
というより、わかりたくなかった。
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私のことを大人として認めてくれないくせに、大人としての振る舞いを要求しないでよ!!!!!
そもそも大人ってなによ!!!!!
どうしたら大人なんだよ!!!!!
つうかあんたらみんな本当に大人なのかよ!!!!!
わかんないよ!!!!!
わかってよ!!!!!!
認めてよ!!!!!!!!
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感情がぐちゃぐちゃのまま、店から飛び出した。学校の近くから会社の近くに引っ越したばかりで土地勘もなくて、涙のせいか雨粒のせいかぼやける視界の中で、懸命に足を引きずった(何かあるときゃいっつも雨だ)。
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この一連の出来事は…なんだか『青春群像劇』っていう言葉がしっくりくる。ような気がする。
靄がかかってかたちの見えない感情や、急に胸ぐらを引っ張られるような衝動のままに、壁に頭を打ちつけ、喉元をひっかきながらのたうちまわる若者たちのショー。
なんとまあ、痛々しい!!!
よくわからないものは、すごく、怖い。
怖いから、全部センチメンタルの箱に押し込んで(きっと、ものに例えるとガラスの破片とか、カッターの刃とか、ずぶ濡れの臭い布とか)。箱がぎゅうぎゅうになったら四方八方に投げつける。
ハイ!全員傷だらけ!!!
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いやいやいやいや!無理!こんな苦しみが続くなんて、私には耐えられません!
なのにコントロールが上手くできないのです…!!!!
だ…誰か…!
誰か!!!私の取扱説明書を…!
取扱説明書をください…!!!!
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あ。
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【ricopin様向け・ricopin取扱説明書】
①人との距離感を見誤ると激しいストレスを感じます。異変を感じた際には、速やかにその場を離れるなどの対処を行いましょう。
②人の話を捻じ曲げて解釈してしまうバグが発見されています。話相手への確認作業は忘れずに行いましょう。重大な事故へとつながる恐れがあります。
③調子が悪い時は、ユーモアが足りていないのかもしれません。・ラジオを聴く・ジャニーズJr.の動画を見るなど、積極的に気分転換を行いましょう。
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取扱説明書を片手に、私は、私になる作業をする。
重くて臭くて痒い「私の皮」を脱ぎ捨てて、私は、私になる。
これが、きっと。そう、きっと。
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1年と半年で導いたこの答えを、「大人」はなんて思うんだろう。
この文章もまた、『青春群像劇』だと笑われるんだろうか。
まあそれも、悪くないか。
「多くの人は大人になりたくてなったんじゃなくて、子どもでいられなくなっただけなんだ」とテレビで言ってた言葉を思い出しました。
自分も含め、自分の扱い方がわからない人たちもいるなか、自分の説明書を作れることに純粋にすごいです。僕にはできない。
コメントありがとうございます。
生きてきた年月が、きっと私たちを遠いところに運んでいくんでしょうね。なんだか腑に落ちました。
取扱説明書の作成は、快を求めているだけのことです。楽に生きるため、自分を嫌いにならないため、上手くできない自分を許してあげるための作業だと思っています。
たとえポンコツテレビでも、「叩けば映ります」と明記してあれば、愛着持って使うこともできそうなので!
そもそも大人ってなによ!!!!!
どうしたら大人なんだよ!!!!!
つうかあんたらみんな本当に大人なのかよ!!!!!
それなーーーーーってなったよ。
小さい頃からずっと大っ嫌いだった大人、
全員が全員悪いやつとは限らないってわかったけど、
やっぱりちいは一生大人にならない。なりたくない。
なりたくないからならない。
また飲みいこね。
「大人」の定義ってなんじゃろね。
そこももっと掘り下げてみたいね。
まわりからの要求で、まわりが求める「大人ーには、わたしもなりたくないなあ。
飲みに行こう。いっぱい考えよう。
20歳超えたら大人とか自分の感情コントロールできるのが大人とか我慢出来たら大人とか、やけに条件は曖昧で移ろいやすくてそれを目指してみればつまらんない人になってた。
昔ほど自由に文章も書けないし、朝にワクワクすることもなくなったし。
愚痴になるけどこれだけ振り回してくる大人って言葉は好きになれないなぁ。まだ子供やなぁ。
って思いました。
自分以外の誰かを判断の軸にして、その人たちに求められているモデルを追い求めると、いつのまにか自分のこと嫌いになっていたりしますよね。
それなのに、なぜか自分が嫌いな自分をまわりが評価してきたり。逆にまわりの思う通りにならなかったら「年長者の言うことを聞け」ってボロクソ言われたり。
そういう言葉だけの「大人」には、確かになりたくないなあ。
「大人ってなのよー」
って言葉、すごく共感できました!
ぼくも見た目、すごく童顔で、内面も、考え方もこどもっぽくて、それが嫌で「あー、なんで自分ってこんなに幼稚なんだろう」って思うことが多々ありました汗
でも、今は逆に「どうせ大人になるならわざわざ急いで大人になる必要もないか」って思ったり、学校の中に入ってなんだか「こどもっぽさ」がないように感じて、
逆に”こどもよりこどもらしく”を今は自分の一つのテーマにしてます!
その方が今の自分には合ってるし、なにより自分自身が楽しいので。
「自分が楽しければいいのか」っていわれるかもしれないですが、今自分はそんなこと思ってます!
ricopinさんの記事のおかげで改めて自分の考えを振り返ることができました!
ありがとうございます!
お返事遅くなりすみません…!
子どもであることを自ら選択しているってことにすごく意味があるように感じました。自分の幼稚さを見つめてなお「子どもであろう」とすることは、人として成熟していく過程でのそれなのだろうなあ、と。
「大人」と「子ども」…色々な人が持つ認識も含めて奥深いテーマですね。私も考える機会ができて嬉しいです。ありがとうございました。