p.4:だから私は▲▼をやめた
数ヶ月続けたバイトをやめた。3つ掛け持ちしているうちのひとつ。
優柔不断が災いして決断するのにかなりの時間と労力を費やしたけれど、この数ヶ月で苦しんだことや悩んだことは自分の人生において重要な意味を持つような気がして、
だから、ここに残しておきたいと思った。
甘ちゃんで、恥ずかしい私のはなし。すこしだけ聞いてもらえますか。
それは、とあるお店の接客の仕事だった。ごく小さな個人経営のお店。
はじめはよかった。ゆるい雰囲気が流れていて、お店の人も気さくで、そこそこ楽しくやっていた。
1ヶ月くらい働いた頃。疑問を感じることが増えてきた。
要約すると、私が疑問を感じたことは以下の4つ。
休みをもらうと休んだことを遠回しに責められているような気がすること、ミスに対しての叱り方がきつすぎたり濡れ衣を着せられたりすること、ほかのお店や他人の悪口ばかり言うこと、お客さんに対して高圧的な態度をとること。
私は、この職場に行く度にストレスが溜まったし、時には悔しくて泣いたりもした。
だけど、今まで何年もお店が続いてきたということは、これに耐えられる人がいたということ。
しかも仕事は簡単なことばかりだし、お店が暇で何もしなくていい時間もあるし、時間に関してはかなり自由なお店だったし、接客が楽しいこともあるし…
こんなことでつらくなっていること自体自分の甘えで、私が弱いだけではないかと思い、やめられずにズルズル続けていた。
ストレスフルな仕事を続けながら、私はそこらじゅうで職場の愚痴を言っていた。
家族や、恋人、久しぶりに会った友達。
一通り話して、それはひどいと共感してもらうところまでがテンプレ。特に、恋人はサンドバッグ状態だった。
あるときから、恋人が私の話をちゃんと聞いてくれなくなった。なんとなく、うんざりしているようだった。
そのときは、いつも話を聞いてくれてたのになんで!?!?と憤怒したのだけれど。
鏡を見た瞬間、絶望した。
そう、私はいつの間にか。職場の人と、同じ顔をしていた。
嫌味を言ったり、すぐ怒ったり、悪口ばかりいったり、他人に対して高圧的な態度を取ったりする、あの人たちと同じ顔を。
ここで働く自分は、好きになれない。それどころかここにいるだけで、どんどん自分を嫌いになっていることに気づいた。
社会人になったら、休みたい時に休めないのは当たり前のことなのかもしれない。
だったら。休みたい時に休めない社会なら、休めなくてもいいと思える場所で働きたい。
頑張ったら頑張っただけ評価されたいし、自分でも頑張ったと思いたい。人の悪口ばかり聞いていたくなんかないし、人の悪口ばかり言いたくなんかない。
この場所で働く自分も、ここの人達も、愛せない。私は今この瞬間の自分を幸せにしながら生きていたいのに、そこにいる自分も周りの人も愛せないような場所に身を置く意味ある?
このお店と私の相性が良くなかっただけなのだ。誰が悪いとかじゃない。もう、どうしようもないことなのだ。
この場所から逃げる勇気もないくせに、愚痴ばかり言っていた自分に、心底呆れた。何がヒップホップに生きようぜ、だよ。笑っちゃうぜ。
だから私は、バイトをやめることにした。
自分に合わない職場を選んでしまったことも、合わなかったといえど続けられなかったことも、私の自己肯定感をかなり低下させた。現にこれを読んでいる人にも甘ったれで恥ずかしい人だと思われるのではないかと怯えている節がある。だけど私はそこで折れるような人間ではない。
ここで働いたから、自分の弱点を見つけることができた。
人からの悪意に敏感すぎるところ。職場の人がほかのお店の悪口を言ったり人の価値観を否定したりする姿を見てとても嫌な気持ちになった。
でも、自分はどうだろうか。愚痴ばかり言っていなかっただろうか。お店が混んで余裕が無いとき、お客さんに冷たくしてはいなかっただろうか。
人の振り見て我が振り直せ。まずは自分が周りの人を大切にしたいと思った。人が嫌な気持ちになるようなことは言わないようにしたいし、自分と関わることで幸せになれる人が増えてほしいと思う。まずは自分が頑張ることが先だ。
叱られるのが苦手なところ。自分が出来ていない、ということを人に指摘されるのがそもそも苦手で、失敗をしたときにかなりのダメージを受けてしまう。相手の言い方が強かったりするとダメージがさらに大きくなる。自分の理想像が「超人」なのだ。
残念ながら私は超人でも天才でもない。人並みに失敗をする。失敗をする度にウジウジ引きずって作業効率を下げるくらいなら、うまいこと切り替えて失敗を減らせるように努力できた方がかっこいい。
怒られちゃった。そんな言い方しなくてもいいじゃん!…いや、でもさっきの動きはもっとこうすればよくなったんじゃないかな…次はやってみよう。そしたら私、もっとすごくなっちゃうじゃん!どうしよう!
くらいに思えたらいいな。最近は少し意識している。
他人や職場の環境を変えるのは難しい。だけど自分を改善することはできる。合わない場所からは離れていい。だけどその分自分も変われるように頑張らないといけない。なんだかワクワクしてきた。まだまだ伸びしろがあるってことだ。
だって私、すごい人になりたいんだもん。幸せになりたいんだもん。
私が持っているエネルギーは、私の好きな人たちや好きな居場所のために費やしたい。まだまだやりたいことがたくさんある。
だから私はバイトをやめた。
バイトをやめたなんて、偉そうに言えた話ではないけれど。どうにかここからアップデートするからさ。
ページをめくるまで、待っててよ。
ほんと、記事に共感しました。
>頑張ったら頑張っただけ評価されたいし、
>自分でも頑張ったと思いたい。
>人の悪口ばかり聞いていたくなんかないし、
>人の悪口ばかり言いたくなんかない。
>この場所で働く自分も、ここの人達も、愛せない。
>私は今この瞬間の自分を幸せにしながら
>生きていたいのに、そこにいる自分も周りの人も
>愛せないような場所に身を置く意味ある?
僕は、人のことを悪くいったり、二枚舌というか、ある場所ではその人のことを褒めるけど、ある場所では悪く言うような、そんな人が苦手です。直接悪い言葉をぶつける人も、もちろん嫌だけど。僕がいる職場は、人のことを影で悪くいう人が何人かいて、仕事をしながらとても嫌な気持ちになります。この気持ちに折り合いをつけて働くのが正しいなんて絶対に思わない。今後も。
>人の振り見て我が振り直せ。
>まずは自分が周りの人を大切にしたいと思った。
>人が嫌な気持ちになるようなことは言わないようにしたいし、
>自分と関わることで幸せになれる人が増えてほしいと思う。
>まずは自分が頑張ることが先だ。
嫌なこと不満なことをズラズラあげるだけでも、おそらく記事は完成したと思うけど、うめこさんは、「自分を省みる」ということをしました。なかなか、これは多くの人ができることではないと、僕は思うんです。うめこさんは、とっても偉い。
うめこさんの過去記事(一番初めの方)を読んだ時、僕は正直「ちょっとこの人とは合わないかもしれないな」という気持ちがありました。僕は「すごい人にならなくてもいい」と思っているけど、うめこさんは「すごい人になりたい」と言っている。考えが真反対だと思っていて(どっちかが正しいというわけではないです)。今はちゃんと、「ちょっとこの人とは合わないかもしれないな」という気持ちが、ただ一時的なものでしかなかったと、はっきり思っています。僕も、人が嫌な気持ちになるようなことは言わないようにしたいし、自分と関わることで幸せになれる人が(できれば)増えてほしいと思っています。幸せになりたいとも思う。そこへの過程や手段として、すごい人になる必要があるかどうか、すごい人になりたいかどうかという考えは、お互い多分違うんだけど、そこ以外が僕と近い部分があるなぁと勝手に思っています。
嫌なことがあっても、自分を省みて、自分を見つめ直すことができた。うめこさんは偉いです。見習いたい部分がたくさんありました。今後も読み返したいと思います。とってもよい記事でした。
ワタナベさん
コメントありがとうございます。
ちょっと合わないかもしれないと思っていたこと、打ち明けて下さってありがとうございます。このコメントが届いたとき、小さくガッツポーズをしました(私のおどりばを読んで、打ち明けようと思ってくださったのがうれしいのです◎)。実は「すごい人になりたい」ことについて根本的に見直さなければならない事態が発生して、次のおどりばではそのことについて書きました。ワタナベさんをはじめとした、今まで私の文章を読んで下さった人にどう届くか、正直今まで以上に不安なところがあります。もしかしたら呆れるかもしれません。
だけど。ワタナベさんがおっしゃるように、「人が嫌な気持ちになるようなことは言わないようにしたいし、自分と関わることで幸せになれる人が(できれば)増えてほしいと思っている」ことは、いままで通り変わっていません。だから仲良くしてくださったらうれしいです(笑)
本当に省みることができたかは自信がないのですが…しっかりけじめをつけてやめられたので後悔はしていません。ありがとうございます。
読みました。
私は結構昔に「すごい人になりたい」をあきらめてしまったので、うめこさんの「すごい人になりたい」を応援したいです。
失敗して、原因を省みて、更に成長させてくのはすごいと思いますよ。
30後半のおっさんが言うのも何ですが、私より若い人は失敗して、悩んで、伸びて欲しいです。
悔しい、まずい、と思う気持ちの時の成長度は高いと思いますよ。
ニルンさん
読んで下さってありがとうございます!
実は、「すごい人になりたい」を見直さなければならない事態が発生したので、つぎのおどりばではそれについて書いています。もしかしたらがっかりするかもしれませんが、気が向いたら覗いてみてください。
今回の失敗をいかして、今まだ続けているバイトは頑張っていきたいなと思っています。
やめられたのね!!!おめでとう!!
これからアップデートしていけるから新しい門出だね!
社会人になっても、ひとつの所でずっと働き続けられる人って正直稀。特に保育業界では。
石の上にも三年とか言うけど、三年も留まってたらめっちゃ時間も体力も気力も無駄にしてしまった!ってパターンもあるし、わたしも今の園で働いて5年目になるけれど、それが果たして良いことなのかは解らない。辞める気力も勇気もなく、惰性で働いているのかもしれない、と考えることもよくある。更に、わたしがこの園を辞めて、果たして他の所でちゃんと働けるのかという疑問を自分自身にも抱いている。
だから、うめこちゃんは最早「あまちゃん」ではないと思う。自分の欠点や苦手なことを自覚できているのだから、それは強味に変わる。
わたしも、人の振り見て我が振り直せだな。
気付かせてくれて、ありがとう。
既にわたしの中では、うめこちゃんは「すごいひと」なのだけれど、うめこちゃんはまだ自分自身に納得出来ていないのかもしれないし、伸び代たくさんだと思うので、もっとすごくなったうめこちゃんの記事、これからも楽しみにしています。
ゆうりさん
読んでくれてありがとう!すごいって言ってくれてとてもうれしいです。
>わたしがこの園を辞めて、果たして他の所でちゃんと働けるのかという疑問を自分自身にも抱いている。
これ、めっちゃわかる。この職場に問題があったとして、ほかのところでちゃんと働ける気がしない。そう思ってやめられずにいた節もあり。
でも、5年続けられるのはすごいことだよ。子供と真剣に向き合っているから。私はいまだに、何もかも続く気がしていません。
しれっと宣伝になるのだけれど、つぎのおどりばは全然すごくないうめこちゃんなので、見て全然すごくないじゃ~ん!と笑ってほしい・・・
うめこさん、
やめられることができたこと、それはすごいことだと思う。
偉そうに言えた話ではないって言うけど、
ちゃんとやめられたうめこさん自身を褒めて、誇っていいと思う。
私が仕事をわずか2ヶ月でやめてしまった時、
「2ヶ月でやめるなんて、なんて自分は情けないんだ」と思っていたら、
友人が「ちゃんとやめられてえらい」と声をかけてくれました。
彼女は「逃げたり、ばっくれたりしないで、“ちゃんと” やめられたっていうのはすごいことなんだよ」と言っていました。
私も今はそうだと思えます。うめこさんはそこに自分を省みてやめるという決断ができたことは本当にすごいこと!
うめこさんは嫌かもしれないけど、「うめこさんえらいぞ〜〜」って頭わしゃわしゃしたいです
(すみません、これ私が人を褒めたい時の感情表現なのです。)
もう、ずーっとうめこさん、えらい!えらいぞ!と言い続けたい。
でも、記事の感想も書きたいので話を少し変えますね。
「頑張ったら頑張っただけ評価されたいし、自分でも頑張ったと思いたい」
共感しながら読みましたが、一番ここに首をぶんぶんと振りました。
最近、同じことを思っていたので。
評価されたい、認めて欲しい。でもそうならない。
もはや、そう思う自分が間違ってるのかもとさえ思い込みました。
でも、頑張ったことを評価されたい、自分でも頑張ったって思うのは当たり前のことなんですよね。
ゆうりさんと同じくわたしにとってもうめこさんは「すごい人」で、そして伸びしろまだまだある!
つまり、うめこさんは「もっとすごい人」になる!と勝手にわくわくしています!
自分のことを認められたときに、すごい人になれる、というか自分のことをすごい!と思えると思う。
すごい人とはそのときの自分を超えられた人?
嫌なところも好きなところも全部認めるというのは、まあある程度修行が必要かと思うけど、修行っていうか練習?でもそうなりたいならそうやってればなれるという気がします、、!
うわあー!
伸びしろがある!
ワクワクの前進!
そーだそーだ!それでいい!
って思えた!
ありがとうございます☺️
そして、
おめでとうございます!