HSP

住人

「HSP」

この言葉を聞いたことがある人がどれくらいいるのだろうか?



ぼくは最近になって知った。

「繊細さん」という本で有名になった、5人に1人がそうであるという人の気質のことらしい。最近ではオリラジのあっちゃんがyou tubeで紹介して有名にもなった。


正式名称は[Highly Sensitive Person]。


ネットからHSPの定義となる4つの性質を引用する。






HSPはDOES(ダズ)と呼ばれる4つの特性があると言われています。4つの特性が揃っていることがHSPの定義になるため、どれか一つでもあてはまらない場合、別の病気や気質の可能性があります。

Depth of processing(処理の深さ)

物事を始めるのに色々と考えてしまうので行動するまでに時間がかかりますが、没頭して物事を調べる特徴があるため、知識が深くなる傾向があります。また、社交辞令やお世辞に対しても深く考えるため、裏にある真意をすぐに見抜いてしまいます。

Overstimulated(刺激を受けやすい)

相手の言葉や気分、言動などに敏感で、何気ない言葉が気になったり、傷ついたりします。また、映画や音楽、本などに深く感動するなど周りの環境の様々な刺激を感じ取りやすいです。

 Emotional reactivity and high Empathy(感情的反応性・高度な共感性)

共感能力が高いので映画などの登場人物に感情移入して喜んだり悲しんだりします。また、人が怒られていると自分も怒られているように感じ、気分が落ち込んだり、傷ついたりします。

Sensitivity to Subtleties(些細な刺激に対する感受性)

冷蔵庫や時計の音などの生活音が気になったり、人の体臭や口臭に敏感に反応してまったりと、日常生活の些細なことが気になってしまい、集中するべきところで集中ができなくなることもあります。

   参照 https://www.shinjuku-stress.com/column/psychosomatic/hsp/




詳しく本を読んだ訳ではないからHSPについて突っ込んだ話は今回はできないが、ぼく自身、自分はHSPではないな、と思っている。かなりガサツな部分もあるから。でも、チェック項目等を見て「あ、わかるなー」と思うものはある。



人の気質、と言うくらいだから、すべての人に少なからずその傾向はあるのではないかと思う。それが強いか弱いかの違いで。そこに生まれてから今までの後天的な経験が付加されて今の自分の気質ができているのだと思う。

ぼく自身、普段そうした「繊細さん」的側面はあまりないが、でも人によって似た側面が顕著に出てしまうことがある。




たぶん誰しもいるであろう「どうしても気が合わない」という人。

「気が合わない」というと対等か、自分が上のように感じてしまうが、生理的にどうしても苦手な人。




ぼくの場合、ガツガツした人、威圧的なオーラがある人。






一度自分でそう思ってしまうとだめだ。


人によって顔色を変えるのは嫌だが、どうしてもそういう人と話すときは自分で自分を落として話してしまう。






そして、そういう人の顔色を窺ったり、迷惑をかけていないか考えちゃったり、ちょっと言われたことに傷つきやすかったりする。







よく


「人にどう思われるかは関係ない」

「自分ではどうしようもないことは考えてもしょうがない」

「自分らしく振舞えばいい」

「若いんだから迷惑をいっぱいかけていい」






そんな風に言われる。自分でもそう思っている。



頭ではわかっている。




けど、先のようにぼく自身できないときがある。








逆に人によっては、そんなことを全く考えないんだろうな、という人もいる。

先のオリラジのあっちゃんは、自分で自分を「完全に非繊細さんである」といっている。堀江貴文さんとかもそうだろうと思う。





そしてそういう人がだいたい「すごい」ことを成し遂げる。

あっちゃんなら、芸人として、you tuberとして売れたり、紅白に出たり。堀江さんならお金持ちになったり、自分のお店をいっぱい持ったり。なにより自分のしたいことをしたいように生きたり。



そう見えるだけなのかもしれない。


そしてそれは富や名声という側面だけかもしれない。



そう思ってはいるけど、ぼく自身、「完全な非繊細さん」というわけでなくても、そういう側面は集団、もっといえば社会の中で優位に働くためには必要な側面のように今、思っている。








何が言いたいか。


ぼくはそういう自分にない「非繊細さん」の側面にジェラシーを感じているのだと思う。




そうやって一部ではあっても




”人の顔色を窺ってしまう自分”

”言われたことを過大に捉えて傷つく自分”

”迷惑をかけていないかと気になる自分”





そんな自分が嫌で、でもそれに自分自身が一番気づいていて、そして苦しむ。

さらにそんな自分は、先のような人にはいろいろな面で劣る、と考えてしまう。




しかし、そんな風に思いながらも、どこか自分は変なプライドがあるのだと思う。










あー、久しぶりに、こんなに内省した。

学生のとき以来だと思う。







変わってないなー、青いなーとも思うし、まだまだ人として成長途中なんだなとも思う。






結局は、こうして今の自分自身を内省したところで何かが変わるわけでもない。




でも、ちょうど、このタイミングで、おどりば、という場があったから「考える」というアクションを取ってみる。備忘録として。





この瞬間「変わりたい」という自分がいる証拠。


「ありたい自分」を探す旅の途中だという証拠。


あかっぱ

よく中学生に間違われます。「見た目はこども、中身もこども」な25歳です。

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